昭和の風林史(昭和四六年九月六日掲載分)

秋風嫋々(じょうじょう)たり 落日釣瓶おとし

秋の日のヴィオロンのためいきの身にしみてひたぶるに悲し。秋の日は、つるべ落としという。

「をりとりてはらりとおもきすすきかな 蛇笏」

凶作に買いなしという言葉がある。凶作決定的と万人が認め、相場もまた凶作を買ってしまうと、たとえどのような材料、たとえは、もう一度霜が降りたとしても、逆に相場が安いということもあり得るのだ。

知ったらしまい―が相場である。現物が欲しくて買っているわけではない。買っている人の九五%までが値ザヤを狙っているのである。すなわちこれを人気と言い、仮需要と言う。

さてドラマチックであった前週の動きで、ひとまず相場を出しきった。いわば山場を過ぎたのである。

エネルギーを燃焼し尽くしたあとは千五百円ぐらいの自律反動からくる下げが入るのが定跡で、さして驚くには当たるまい。この場合、利食い急ぎと基調崩れと見る売り追撃で、ともすれば下げすぎることがある。

相場の行きすぎは、上にでもそうだが、下にもそれはある。

市場の背景は冷害凶作が厳然としているから、下げすぎれば当然見直し買いがはいる。

筆者は、自律反動によって下げたあとは、一万八千八百円、すなわち新穀の九千円相場があるだろうと今は思っている。

しかし、情勢次第では九月上旬に湧いて付けた値段が大天井になることも考えておかねばならない。平凡に、ぼんやりと今の相場を考えてみた場合、凶作織り込み/イレ出尽くし/取り組み変化/日柄経過/規制強化/市場維持/買い方に対する牽制/大衆筋の買い気―そのどれを見ても売りに分があるし、下げ足に弾みがつくと秋の日は、つるべ落としである。もとより需要期、収穫六十万俵、今後の霜害、病虫害などの材料はあるけれど、それらの材料を相場は腹一杯詰め込んでいるから、その時は敏感に受け付けない。もっとも値ごろ水準にもよるし、取り組みにもよるが。

弱気になるわけにはいかないが、これからは買い方が自分の力で相場を下げさせる因縁をつくるだろう。売り方が自らの手で相場を突き上げ、終局はわが手で首を締めたように、次は買い方が相場を崩すことになる。

●編集部注
桐一葉落ちて天下の秋を知る―と書いて、スターリン暴落を予見したのは独眼流、石井久氏。

ルネサンスの終盤を季節に例え「中世の秋」を書いたのはホイジンガ。

執筆時、風林火山は、小豆相場に秋の訪れを感じたのかも知れない。

市場は市場で「飽き」か「厭き」を感じている。 

日足を見ると、相場は膠着戦型の市場心理を投影。放れにつけの典型。

【昭和四六年九月四日小豆二月限大阪四三〇円高/東京二九〇円高】