昭和の風林史(昭和四六年九月二二日掲載分)

鉄火場よりも 始末が悪い穀取

穀物取引所は、やくざの鉄火場よりも始末が悪い。それは社会に害毒を流すからである。

「野路起伏口芒に沈み去る 秋桜子」

手亡の一万円台の相場は人気料である。この人気料がつのって、さらに馬鹿げた相場をつくるか、人気がはげて暴落するか、投機家は、その値ザヤを稼ぎにかかる。

人気は相場の花である。花の命は短くて悲しきことのみ多かりき―というのは林芙美子の歌であるが、相場の花の命も短い。よく言う。天井三日底百日―などと。

ところでピービーンズの格差をもっと虐待しようという、まさに本末顛倒のナンセンス論議が一部から聞かれる。恐らく買い方仕手の手先かなにかであろうが、当面、小豆が駄目で手亡一本の相場でやっていかなければならないので、ピービーンズみたいな邪魔なものを入れず、限られた少量の大手亡豆の俵で市場を過熱化させ博打をしようという趣旨のようだ。

筆者に言わせればもってのほかの、たわけた話だ。取引所を一体なんと思っているのだ。

なにか言わせればヘッジ機関だの、円滑な流通だのと、ごたくを並べるが、博打道具あっての取引所ぐらいにしか考えていない馬鹿共が、いかに多いかが判った。

手亡が、暴力団の如き魔の手に狙われているのである。これを小型小豆相場にしてしまったのでは穀物取引所は、その機能などまったく社会の害毒としてしか認められない。

ピービーンズの格差はこの際だからこそ大幅に優遇しなければならないのである。

それにしても、この十日間ばかり穀物業界は野盗の群に襲われ、なすすべを知らない無法の街の感が強かった。黒沢映画〝七人の侍〟では野盗の群に三船敏郎など七人の侍が村落を死守したが、当業界には業界を守るべき勇気ある侍はいなかった。というのも銭儲けの欲のためには立場も身分も役職も、そして理性も良識も、あったものでないという人間本来の欲望がこれほど露骨に出るものかあらためてそれを認識したのである。

もとよりそれが弱肉強食の世界である。

だが、やくざの賭場でさえ厳しい掟がある。当業界には、そのルールさえ強欲の前には無視される。

こんな事では穀物の取引所など、ないほうがよい―と痛切に感じた人が、どれほど多いか判らない。筆者もその一人である。

●編集部注
勝ったのは百姓だけだ-。

映画「七人の侍」は志村喬のこの台詞で終わる。清々しくもあるが、ボヤキのようにも感じられる台詞。

上の文は風林火山の業界批判のように見えて、内実ボヤキかも知れない。 現実世界に三船敏郎も志村喬も加東大介も出てくるものか。よしんば出てきても、そんな人物は活躍する前に潰される。

城山三郎「わしの眼は十年先が見える」で描かれた大原孫三郎は、素封家の出が幸いしたのか、世間に潰されずにすんだ。

しかし星一しかり、先日紹介した鍋島高明氏の「大番頭金子直吉」しかり、大概天才は忘れた頃にやってくる。そして常人にはついていけない。

出る釘は、打たれるか、引っこ抜かれるものなり。

話は変わってピービーンズ。これは先般登場した白系豆。「白系雑豆」の一つと日本ユニコムHPの用語集にある。

このページ、非常に詳しく各銘柄ごとに分類されており便利である。
http://www.unicom.co.jp/commodity/glossary/

【昭和四六年九月二一日手亡十一月限大阪三七〇円安/東京五〇〇円安】