昭和の風林史(昭和四六年九月二九日掲載分)

S安はS高に厳然と上値指向

S安が入っても線型は崩れていない。乾燥遅れ、不穏な取り組みは次の反騰を約束するものだ。

小豆、大手亡相場はまたまたストップ現象である。今月に入ってから実質立ち会い日数は二十二日、そのうち小豆はちょうど半分の十一回というもの、全市場あるいはどこかの市場でS高、S安の激動を繰り広げている。

大手亡の方は十回である。

これが厳しい規制を敷きしかもなお受託制限まで行なうという管理下に置かれた相場の動きである。

確かに総取り組みは減少した。いまとなっては一般はだれも近づかない、残ったのはセミプロや玄人間のゼニのむしり合いである。その点では少々(?)荒れようとどうしようと、つまらぬ紛議ダネにもなるまい。

しかし「穀物市場はまるで〝バクチ場〟ではないか」―という大きな〝代償〟を払うことになる。筆者がそう言うのではない。それが毎日のようにS高、S安を繰り返している穀物に対する世間の受け止め方というものである。

ここに至っては小豆についてはもはや強弱など必要でない。プロ投機家、もしくはセミプロ間での火花の散る激突で相場はまだまだ荒れ狂うことだろう。

弱気は峠を越した早霜懸念―秋揚げ良好に賭けて二万円の小豆は売り勝負のハラである。

幸か不幸か、きょう、あす中にもといった霜は昨日来の全道的な大雨で回避されそうな気配だ。

もっとも、この雨で小豆、手亡の刈り取り作業を中断しなければならぬ上に、こうぐずついた天気では肝心の乾燥が著しく遅れることになる。
すなわち霜被害の恐れを未だ残しているわけだ。

しかもなお十月限は近藤紡のカラ売りを擁するという取り組み内容だ。

微妙な人気の変化、片寄りは細った取り組み、薄い商い―という情勢下においては直ちに相場に反映し、直線的な値動きを示す。いともあっさりとS安をつけること自体が、またS高で吹き抜ける可能性を示唆するものである。
筆者の線型ではこの日(28日)がS安にかかわらず、なお厳然と上値を指向したままである。

大手亡とて〝ひと相場〟が終わった形ではない。それこそキッカケ一つで強力な反騰大勢に移ろう。この突っ込みは、またとない買い場である。

●編集部注
 行間に涼しさを感じる。冷静を通り越し、ニヒリズムに辿り着いた感覚。

 鉄火場の斬った張ったを「ゼニのむしり合い」と表現し、今後のやっちゃ場を憂うも、相場は相場と、見通しにも触れる様は眠狂四郎ばりの所業。

 尤も、市川雷蔵はこの時、この世の人ではない。

【昭和四六年九月二八日小豆二月限大阪七〇〇円安/東京七〇〇円安】