昭和の風林史(昭和四六年十一月十六日掲載分)

強気への支えは 自殺への契約書

小豆相場は戻り売りで充分に取れる。下値は一万四千円を割るだろう。総投げ場面まで安い。

「敗荷や仔細に見れば流れ水 喜舟」

西洋の諺に「好運に見はなされたらお粥をすすっても歯が欠ける」というのがある。むこうのお粥はオートミルである。第三次商談はないものと思っていたところ閉幕ギリギリになって売り引き合いが出た。商社筋は気乗りしないようだったがそれでも四、五百㌧は出来たそうだ。

この調子では春の交易会でも、かなり出来そうだし、なんだかんだと値は荷を呼んでアジア諸国から日本に小豆がドカドカ入荷する。

堂島の米相場時代、相場が高くなれば箪笥(たんす)の引き出しからでも米が出てくると言ったものだ。

ともかく小豆相場は、暴落列車驀進す―で、終点がない。

ケイ線では先三本の一万四千円割れ。そのあたりは、ゆっくり予測出来る。

なんだろうか、当分は戻り売り一貫。結局は一万二千円相場ということではなかろうか。

買い方がぶん投げてくるまでは、判りやすい相場である。

現在、カンカンの弱気でも一万四千円どころは一応の底値と考えているようだが、下げ相場にコストはない。それが相場である。一万四千五百円あたりから値ごろ観が買われて、それ相当の反発場面があるかもしれないが、反発したりすると、再び後が悪くなる。

好運に見はなされた買い方であるおとは、万人認めるところで、もってまわるように急所急所で買い方不利な材料が出現するものである。

すでに買い方は気力の面において、ともすれば沈潜する。

相場は材料でない。そして資力でもない。要は気力である。

敗軍の将はウズなす輸入小豆をむこうにまわしすでに刀折れ矢尽きん姿である。

この相場、戻り売りである。ここから売っても下値は残っている。相場師は見切り千両という。

●編集部註
無欲万両という言葉もあるが、「利食いドテンは愚の骨頂、損切りドテンは福の神」という相場格言もある。

我慢に我慢を重ねた末の損切りは、意外にスッキリとするものだ。何でもっと早くやらなかったのだろうとさえ思う。

この心境はやった事がある人にしか分からない。

ここで憑き物が落ちたように相場から離れる人と、臥薪嘗胆の人と、捲土重来の人に分かれる。

諦めたら、そこで試合は終わると、安西先生も仰った。また新しい波に乗れば良いだけの事。

損切りドテンで往復ビンタを喰らっても、右の頬を殴られたら左の頬を出せと、聖書の中にある。

【昭和四六年十一月十五日小豆四月限大阪四七〇円安/東京五二〇円安】