昭和の風林史(昭和四六年十二月二十二日掲載分)

暗澹たる年末 手亡まで崩れる

悪い時には悪い事が重なるもので手亡まで崩れてこれがまた小豆の足を引っ張る。陰の極はまだか。

「じようびたき高みの柴を刈る音と 柳芽」

ストトンストトンと値は下がる。まさに悪性だ。いいところまできていると思いながらも、相場が下がる以上、実勢は悪いのであって、いいところに来ていると思う考えが間違っているかもしれない。

台湾小豆が三百四十五㌦(俵当たり八千七百八十五円相当)で契約出来たことも軟地合いを、いっそう重いものにした。

また一㌦三〇八円という円の切り上げ幅からくる嫌気売りや、商社筋の為替操作にからむヘッジ売りも出ているようだ。

ともかく大阪市場が無気力で叩き屋筋の叩きがいうことを利く。売っちゃ利食い、売っちゃ利食い。これでは買い辛抱組も、たまったものでないから、ついつい投げざるを得ん。投げれば投げたで値はまた崩れてストトン、ストトン。

きょうは当限の納会 城南に戦いて 郭北に死す 野に死して葬られず 烏食らうべし。我がために烏に謂え しばらく客がためにさけべと。野死諒に葬られず 腐肉いずくんぞ能くきみを去つて逃れんや。

水声は激激たり。

蒲葦は冥冥たり。

傷心 豈(あ)に復(ま)た論ぜんや―という納会である。すなわち知る。兵なるものは是れ凶器―。

それで、どうなることか?と問えば、筆者には判らん。判らん時には判らん。判る時が来るのを待つしかない。

地合いから言えば底値圏だろう、などと申すのは気やすめである。気やすめは気が持てないから言うのである。

人は言うであろう。風林がそういうようなことを書けば相場も陰の極だ―と。

値段さえ固まれば、まずそれでよいのである。この場合、急激に反発したりなどしないほうがよい。強引に煽り上げるから、後が悪くなる。相場は自然を好むものである。

北海道小豆が、くず豆まで入れて66万五千俵。この数字が将来必ず相場に響いてくる。そう思うしかない。

悪い時には悪い事が重なるもので手亡相場が崩れ、これが小豆の足を引っ張る。小豆も買い、手亡も買い―という人が多い。手亡とは本当に難かしい相場である。買い方まさしく惨々の年の暮れになりそう。

●編集部注
 これを読んでいて、どうしても、他人事のようには思えなくなる。
 
時は平成、1999年の夏、東京金相場である。

 その年の八月に1000円を割れ、戻しまた割れ、950円の手前で相場は崩落して900円割れ。

 その年の九月には836円まで下落したのだ。

【昭和四六年十二月二一日小豆五月限大阪三九〇円高/東京三八〇円高】