昭和の風林史(昭和四七年一月十二日掲載分)

値ごろ観無用 合掌拝み打ち!!

目立つ買い建ての店のどこかが、ぶちあげてくるまでは、下げが止まらない相場だ。値ごろ観無用。

「而して無為にもあらずふゆごもり 非文」

戻すから悪いという言葉がある。

戻さなければどうか。なお悪いのである。

小豆相場の大勢は芒々(ぼうぼう)漠々(ばくばく)、歴然とした革命的崩壊場面にある。

人々は、ここまで下げてきた相場を―という考えが、瞬間脳裏を走るから相場を悪い―で、売りきらない。

たとえ売ってもすぐ利食いしてしまう。

革命相場に値ごろ観はまったく通用しない。ただ無心、無我の境で念仏三昧(ざんまい)で売る。

〝売り込み〟にならないのも今の相場の特徴である。売り込みは、反騰への原動力である。

だが、売っても、売っても、すぐ利食いになるから淡雪のように消えてしまって、売り込んだことにならない。

利食いした人は、戻したら売ってやろうと、手ぐすね引いて待っている。
だから、相場も、そのことを知っているから、戻らない。

<戻すから悪い>の現象より、さらに悪化している現象が<だだ洩れ>で夜が明けると安い。

しかし、どこかで反発するだろう。反発待ちである。判りやすい売り場になる。大地を叩く槌は、はずれようと、その戻りを売る売りは、はずれない。

相場は非情であるということを、つくづく思わせる相場である。

相場の苦しみを知る者にとっては、いま買い方の苦痛を、わが身の如く感ずるのである。それはまさに鬼気せまるものがある。

しかし、これだけは、どうにもならない。

相場は、なお崩れていくのであるから合掌して売るしかない。相場は峻厳だ。

消費地に在庫がたまる。品物は売れない。なお輸入物が増大する。仮需要も湧かない。

そして致命傷は、取り組みが悪いということだ。

目立つ建て玉の買い店が慙死(ざんし)しなければ下げが止まらない。

〝もの言わじ父は長柄の人柱、鳴かずば雉もうたれざらまし〟

これからの場面は、きわめて、あと味の悪い暴落場面につながるような気がする。

それもまた〝相場〟だ。

●編集部注

相場が底打ちした時、〝コツン〟と音が聞こえるのだとか。小生相場の新参者故、残念哉これまでその音を聞いた事がない。

大概が幻聴に踊らされて買う。

幻聴と判って買う人もいる。ただその人はちょっとの値動きですぐ撤退してしまう。存外、そういう相場が強い。

【昭和四七年一月十一日小豆六月限大阪三〇〇円安/東京四五〇円安】