昭和の風林史(昭和四七年一月二十日掲載分)

戻り一杯歴歴 白雲千載空悠悠

先限で三分の一戻し地点。まず一杯のところ。売り込みの単なる反動に過ぎない相場だ。

「寒天小屋の暦の日々を消してゆき 非文」

山大、山梨、脇田―と大手買い建て玉の店が、戻り足に向かって、目立つ降り方をしていたが相場は、売り大手の買い戻しで強張った。

この事を見ても、本来、相場というものは、戻す地点にくれば、誰が売ろうと、どなたが買いたまおうと戻すものである―ということを知らしめた。

市場では、なに故こんなに戻すのかと、首をかしげている。材料とて別にあるわけではない。相場が言わず材料としてなら〝北京商談が遠のいた〟とか〝輸入契約が一巡した〟―ぐらいのものである。

言うなら安値を売り込んだトガメとでも申すべきか。即ち自律戻しである。

それではこれから先はどうかと言えば、戻り一杯という感じが強い。

買い大手も、沖のかもめに潮時聞けば、戦線縮小がよいと言う。一敗地にまみれても、またという日がないじゃなし、土を巻いて重ね来たる。未だ知るべからず―勝敗は兵家も事期せず羞(はじ)を包み恥を忍ぶは是れ男子。江東の子弟才俊多しという。

昔人すでに黄鶴に乗じて去り、此の地空しく余す黄鶴楼。黄鶴一たび去ってまた返らず。白雲千載空しく悠々。晴川歴々たり漢陽の樹―

―日暮郷関いずれのところか是なる。煙波江上人をして愁えしむ。

去ったものは返らない。落下枝に戻らずである。

筆者は〝白雲千載空しく悠々〟という言葉が好きである。大相場すでに去り、という感じである。

そして、大下げの反動で反発して、その戻りも一杯のところにきている。

なおこのうえ、いかなる理由をもって、上値を望むか。筆者の線では下げ幅の三分の一戻し(先限)である。そしてあとどんな支援材料があっても半値戻し地点の一万四千二百五十円以上は無理な相場。

一万四千五百円以上は、まるで買い場の〝墓場〟である。因果玉が累々としている。とてものことではない。戻り売り一貫でよいのだ。

●編集部注

相場に生きる人たちは、外目には同じように見えるが、時間という観点で見ると、全く人種が異なると思って間違いない。

 1年以上の投資スタンスで商品相場に対峙する人なら、現受けや現渡しも視野に置くだろう。

 逆に二~三週間の時間で投資する人たちにとってこの当時の小豆は難しいと思う。それは何故か?

 いらぬ事をあれこれ考えて動いてしまうからだ。

【昭和四七年一月十九日小豆六月限大阪一〇〇円高/東京一四〇円高】