昭和の風林史(昭和四七年二月一日掲載分)

とどめのS高 とどめにならず

下げの末期にもS安があった。ちょうどあれの逆みたいなS高である。末期症状と見る。

「夕月やひそかに咲ける寒椿 草白」

月末は産地市場から火の手をあげてS高に持ち込んだ。産地は北海道明治の買いが威力を発揮していた。東京大阪の手口を見ると買い方の利食い。売り方の踏みである。

週末には、市場の一部で『買い連合は、休み明け、相場をゆるめて、新ポから煽(あお)りをかけてS高を付けてやる』と豪語している―という噂があった。それが、ゆるめずに一気にS高に持ち込んだのは日曜日の作戦打ち合わせで方針が変わったのであろう。

買い連合は、現物を缶詰めにしている。そうしておいて連係を保ちながら締めあげてくる。一種の価格操作とみなされる行為であるが、相場の世界では、常にあり得る戦略であるから、これをとやかくいうのは見当違いである。

それにしても、この期におよんでのストップ高とは恐れいった。売っている人は心臓にズシンとこたえた。

ちょうど、下げ相場の末期にストップ安が入った、あの逆である。

そういうことから末期症状と判断することも出来た。

月替わりからの中国小豆のMT交渉が注目されるところであるし、今週末の在庫発表も輸入物が大幅にふえていることから相場変化のキッカケになりそうだ。

取り組み面は大阪大石、東京での土井の踏み上げ。そして乾繭からの転戦と見られる新規の売りもあって、きわめて流動的であるが、主力買い連合は一気にこの地合いを利用して一万七千円(先限)に、もつれ込もうとしているようだ。

ともあれ〝ツキ〟が変わっているのだから、逆らえば、逆らうほど買い方は力をつけてくる。要は、この〝目〟がどこで変わるかであろう。

MT商談でもこの値以上なら大量に契約できそうだし、北京での積極商談の兆候でも見えだせば、たちまち転落する相場であることは間違いない。要は売り玉を、どこまで辛抱できるかである。

買い方も頭を抱えて辛抱してきた。あの苦しみは言語に絶するものであった。いま風むきが変わって、売り方が、うなる番になった。舞台は回り持ちである。

すでに買い方には有頂天のキザシがある。有頂天とは天にも限界有りということだ。

●編集部注
最後の一節、今の東京貴金属市場と重なる。

「まだ」は「もう」なのだが、相場は意地悪なもので「もう」と思う人が多いうちは「まだ」なのだ。

大抵、大相場が反転する時は、曲がり屋の心がポキリと音がするくらい叩き折られるような動きになってからである。

【昭和四七年一月三一日小豆六月限大阪七〇〇円高/東京六八〇円高】