昭和の風林史(昭和四七年二月五日掲載分)

立春節変わり 下げだせば深い

節分天井という言葉が昔からある。本日は立春で大なる節(ふし)変わり。下げだすと深いと思う。

「鳩鳴いて烟の如き春に入る 漱石」

春たちてとか、春立つやという。節分の翌日が立春。岡地の中道社長は二日の夜、小網町の〝たいや〟で濁酒(にごり酒・どぶろく)のグラスを傾けながら、いかにも四日の節分が待ちどおしそうであった。

『そうなんですよ、年まわりのの厄というものに、私はそれほど、こだわらないつもりでしたが、前厄も本厄も、そしてあと厄も三年続いて悪いことばかりでした。四月の節分で厄のがれが出来ると思うと、やれやれです』―と。

岡地は現在、名古屋の本社ビルを隣接地に増築して旧ビルも潰して新しく建設する。相場のほうではお手のものの毛糸が活況だし人絹もよく出来る。中道社長は節分の豆まきをして晴々することであろう。

さて、小豆相場のほうは、天井したと筆者は思うのだが、曲がり屋の意見だけに信用できない。
売り込むと、また、ひねり上げられる可能性があるだけに、おなかの中では大暴落と思いながらも、きつい表現の弱気をするとまた白旗を掲げなければならない。

ここに来て、山梨の手が利食いを終わって手あきになっているのが弱気するにしても無意味な存在だ。下げたところを、一月12日の時のように勢いよく買われたら、また棒立ちしてしまう。

しかし、あのときと現在とでは市場人気の面が違う。総体に市場は強気のムードである。

五百円から七百円お押して、それから一万七千円必至という空気で先限など、かなり買われている。

買い仕手が現物を缶詰めにして、輸入のとぎれを狙って強烈に買えば、市場で言われる二万円近い相場も、あるいは付けられるだろう。金融は大幅緩和だし、三月期決算の節税対策もあって、買い方には力がついている。

しかも、相場は三千円を棒にたった。押し目なしである。買い方の一方的勝利である。あえて、逆らってもつまらないところだ。

曲がり屋の筆者は相場つきから見て、残存兵力をまとめ、ここは売っておきたいところ。

もとより輸入材料によってはS安だってありえる相場である。

下げたら深い。そう思うのだが悲しいかなその信念が持てない。

●編集部註
 相場は悲観の中に生まれ懐疑の中に育つという。

 この時の、売り方の心の拠り所が、まさにこの相場格言ではないか。

【昭和四七年二月四日小豆七月限大阪二〇〇円高/東京一四〇円高】