昭和の風林史(昭和四七年二月七日掲載分)

ひねり奔騰型 暴落含み型から

暴落含みの相場を奔騰型に、ひねり変えた週末の小豆相場である。煎(い)れ高もう千丁か。

「春あさし人のえにしの絶ちがたく 白虹」

四面楚歌の声に包まれている小豆相場の売り方である。将軍来たらずという感じでもある。中国産小豆を積んだ船は入港しているが、品ガスレの現物市場に流れ、あるいは、先に安値を叩いたヘッジ玉として、その品は自由の身にあらず、はたまた買い方の品物であったりしては、相場に影響するところは少ない。

しかも、中国側は、秋の交易会で二万㌧を契約したため日本の相場を大暴落させたという、商売上の反省もあって今後の契約については、価格面に対する高度な配慮がなされているようだ。

すでに輸入商の三晶実業は、手一杯売って、いうなら窮地にある。

買い方は日ましに実力をつけ、利食いして予備兵力を温存し、戦機をとらえ、一万七千円、八千円目標に、一気の勝負をつけようとしている。

まさに売り方は四面を取り巻かれた感じである。

国破れて山河在り。城春にして草木深し。

相場つきは、いかにも天井構成型で重々しく見えるのであるが、金曜日(四日節分)の大引けのようなこともあるので、売るのは危険を感じる。

ここで下げこじれると再び煎(い)れ高千丁という相場になる。

買い方は、まさしく市場をその掌中におさめている。ゆるめるも、締めるも自在。

ただ売り方は相場の疲れを待つのみである。

「人天に勝ち、天定まって人に勝つ」

相場は時に敏感なほど材料に響き、力になびき借りてきた猫のようなときもある。しかし、ひとたび魔性を発揮すれば、瞬時にして豹変し濁流の如く材料を無視し、力に逆らい、理外の動きに走る。

人気の片寄ったあと、相場が人気の裏にまわるからである事を、相場する人はみな知っている。

週末は、売り線を、はねのけて奔騰型にまた戻った。高値更新すれば押しただけ力がついたという相場になる。しかしまだ暴落含みである。

●編集部注
相場世界は無常なり。

以前〝ケイ線殺し〟の話をしたが、一度でも相場に殺された人間の書く文章には凄みがある。

こころの揺らぎが文字に浮かび上がる。相場を知らぬ人間が読むと、恐らく、こんな感想を抱くだろう「上がるか下がるかどっちやねん!」と。

ただ相場を味わった者には判る。兎角節目でこんな状態になりがちだ。総じていえば「なんか気持ち悪い」という事か。

この手の〝勘〟は非常に大切であったりする。

【昭和四七年二月五日小豆七月限大阪九〇円高/東京二三〇円高】