昭和の風林史(昭和四七年二月十八日掲載分)

困った相場です もつれほぐれず

天候相場の前に感情相場に火がつくかもしれない。時には天候相場に持ち込むことになる。

「芹を煮て療舎の隅を匂はしむ 秋汀」

六月時分から小豆は天候相場という呼び方をされるが、本年あたり、天候相場の一段階前に感情相場という呼び方をされる動きがありそうな気がする。

感情相場とは『このやろう』、『あのやろう』、『やりやがったな』という腹立たしくもまた激しい売った買ったのやりあいで、肝心の勘定のほうは、あとまわしになったりする。

相場の金言〝意地商い皆むかえ〟というのがある。感情むき出しの商いは大阪などで釜崎相場などと申して、ええし(よいところ)の子は近寄らない。西成の釜崎騒動は、真夏の暑い夕方によく発生する。だから釜崎を走っている南海電車の線路には、石を取られないよう金網が張ってあるが、ペンチを持ってきて金網を破り、線路に敷いてある石をバケツで運んで交番や道路や走る自動車にぶっつけ、火をつけたりする。

とにかく目に映るものがすべて腹立たしくなるらしい。昨今では釜崎だけでなく学生が東京でもよくやっていると思っていたら、穀物取引所でも似たようなことになって、こちらのほうは線路の石ではなく玉(ぎょく)のぶっつけあいだ。

感情相場は、引かされている側は『こんなの相場じゃない』と吐き出すように言うが、儲かっているほうは『付いた値が相場さ』と涼しい顔。だが、いったん場面が変わってくると血相変えて『こんなの相場じゃない』と言い出すものである。

知らない人が聞いたら、どちらが本当の相場なのか迷うだろうが、ご本人たちは、ちゃんと判っているのだから面白い。

さて喧嘩過ぎての棒千切れ。天候相場にはいっても、まだ棒をふりまわしているかもしれないが、いずれはどちらも疲労してくる。釜崎騒動のあとには石ころが散乱しているが、感情相場には、ちゃんと取引所に手数料が落ちて、棒ちぎれの棒で所員たちは一家の生計をになっているのだから、喧嘩相場は大きいほどよろしいと言うかもしれない。
迷惑なのは関係ない取引員である。

●編集部註
 前の週の記述とはうって変わって、冷静な風林火山が紙面に戻ってきた。

 チョット前マデ法律タテニ激昂シテハリマシタヤンと、ツッコミの一つも入れたくなる。しかし憎めない。絶妙である。

 この三年前に安田講堂事件が起きている。文中の暴動しかり、喧嘩が今より身近にあった時代だ。

 その集大成ともいえる大喧嘩が、間もなくお茶の間に流れる事になる。

【昭和四七年二月十七日小豆七月大阪三〇円安/東京七〇円安】