昭和の風林史(昭和四七年二月二四日掲載分)

ついに下放れ 買方陣営声なし

もちあいばなれにつくのが相場の定跡である。相当な下値が見込まれる。

旧正月明けの成約量がどのぐらいであったか、諸説紛々としていまだに確実なところがわかっていないようである。

少ないところでは千㌧ぐらいから、多いところでは四、五千㌧と。これまでに見られないほどの大きいへだたりである。そのため週明け後も売り方、買い方いずれも手をだしかねて市場は全くの超閑散となっていた。

買い方は「閑散に売りなし」のたとえ通り売り余地なしとし、買い方陣営の巻き返しに提灯をつけようと期待をかけて頑張るし、売り方もたびたびの買い主力の斬り返しに手痛い目に会っているので、うかつには追撃売りもできず、戦線は膠着してにらみ合いという状態であった。

それが突然二十二日の後場から下放れの様相となって、相場は新しい段階に突入した。やはり俵の重みが親の意見と冷酒と同様に時がたつにつれてジワジワと利いてきた感じである。

昨報の通り、既契約分だけで約二万㌧の中共小豆が五月までに日本に到着する。

二万㌧といえば俵にして三十三万俵強である。

一口に三十三万俵というが、これを横に並べると約三百キロメートル。東京からざっと豊橋までの距離。縦に積み重ねると三俵で一㍍としても十一万㍍、富士山の三十倍ぐらいになる。

すでに買い方主力は十二万俵の現物を握っている。そして俵は幾万ありとても、あえてたじろぐものでないと豪語しているが、果たしてどうだろうか。

これだけのものであれば第一級の仕手だけに受けきることもできるだろうが、しかし、そのあといくらほど中共に輸出余力があるのか、こうもわからなくなってはやはり算盤も弾かざるを得なくなる。

思えば新年早々、各商社はトン当たり一三〇ポンドでビッドをだした。それが全く梨の礫(つぶて)。だんだんと値上げして去年の交易会並みになったところでバッサリ売り物を浴びせられた形である。

中共はこれで約二億八千万円、貴重な外貨を余分に獲得したことになる。

このあともまた売り物が途絶えるかもしれない。しかし、この値になれば当然売ってくるだろう。

先日の高値はやはり天井であった。

売り方の踏みが相場を高くした。今度は買い方の投げによって相場は予想外の安値をつけることになろう。

●編集部註
 国内では警察と連合赤軍が喧嘩中。海外では日本と米国が外交テーブルで中国を巡って喧嘩中。

 一方、小豆相場での買い方と売り方の喧嘩はついに決着。今回は、売り方が一枚上手であった。

【昭和四七年二月二三日小豆七月限大阪七〇〇円安/東京七〇〇円安】