昭和の風林史(昭和四七年三月十四日掲載分)

組織的攻撃は 不可能な買い方

買い方の歯車が、どこかでかみ合わないように感じる。それはなぜか。迷いが生じたからである。

「風強き街道筋の種屋かな 青鏡」

ワッとくるが、それっきりになって、あとが続かない。見る目で見れば、これほど悪い相場もない、ということになる。

数日来の地合いを見ていると、買い主力に深い迷いが生じているふうに思った。なんとなく歯車がかみ合っていない感じである。随分長い戦いであっただけに心理面にも疲れが出ようし、相場などというもの、ひとたび迷いの境にはいれば、疑心が深まるばかりである。

大阪阿波座筋のバロメーターは急速に弱気になっている。買っても、買っても、それが利にならない。ということは、相場が上向いていないわけで、とりもなおさずに買うということは、相場の意志に逆らっていることになるようだ。

M氏の玉のはいっている店の表情には、なんとなく疲れを感じる。もとより立場上、弱気は言えない。しかし忍ぶれど色に出でけり、この相場どうにもよくない―と思っているから、歯切れがよくないし、元気なことを言っていても暗い影を落とす。そしてそれがそのまま敏感に相場が黒板に反映する。

辛い立場であることは察するに余りある。人にも言えず、顔にも出せない。仕手機関店とはそういう宿命を甘受しなければならない。

さて、戦勢をふり返ってみよう。

懸命に支えてきた。それだけは守勢である。一万三千五百円のデッド・ラインは祖国の栄光を賭けて死守せんとしたけれど、すでにそのラインは破られている。そして、組織的な反撃能力は見る影もない。散発的なゲリラ攻撃である。

買い方の威厳も威光も地に落ちた現在、終戦は近いのではないかとも感じるし、あるいはベトナムにおけるベトコンのように地面を這いまわるのかもしれない。

筆者は、ここに一ツの掟のよなものを感じた。市場の機能を破壊した者は、自らも、その破壊された市場で滅亡する―という不変の真理のような鉄則だ。

しかし戦う者の姿は美しい。そして滅亡するものは、さらに美しい。

買い方に栄光あれ―と願うのである。相場は時に奇蹟を生む。要は買い主力の信念である。信念は勝利なり。

●編集部注
 経験を積めば積む程、相場は迷うが定めなり。

 この文章が掲載されている時、買い方最後の砦は恐らく一月の安値。この値を割れるか維持するかで思惑が錯綜している。

 前者なら売り方の勝ち。後者なら買い方の勝ち。

【昭和四七年三月十三日小豆八月限大阪四八〇円安/東京四九〇円安】