落潮再び濤々 萬円割れ時代へ
悪い悪いと相場も言う。期近の万円割れ。期先の飛んで三、四百円。いずれ全限万円割れ相場か。
「遅き妓は東をどりの出番とや 虚子」
三月の上旬の時の相場と今の相場とは、足取りが非常によく似ている。ただ値段の水準が二千円ほど違うけれどケイ線は同質のものだ。
それは八月限の一代足を一見すれば、なるほどと、うなずくだろう。そして三千円割れから〝失神相場〟になった。
九月限は6日の前場引け値で千円棒(引き継ぎ線)がパッチリ記入された。二月21日の先限(当時七限)六千九百三十円頭から三月1日まで斜めに斬って、ここで千円棒を立てたけれど、すぐ折れ返して三月23日一万八百七十円(当時八限)まで叩き崩し、その相場が、もう一度千円棒を立てたが三月30日を頭に今、下向きに千円棒の影を落としている。
こうなると、三月23日の安値は、なんの抵抗もないわけで、三十万俵を越える在庫が、ひしひしと相場の上にのしかかる。
一夕、かつての大相場師・西山九二三多田商事社長と北の新地のナイトクラブやバーを梯子した。西山氏は、もっぱらブランデーで、一本ぐらいは軽くあけてしまう。『あの失神相場では、わけもわからずひどい目にあった』とおっしゃる。千軍万馬歴戦の大相場師にして、頭をかかえざるを得ない奇妙な相場だった。
『相場は、やはり人間が出来て、執着心も枯れ、淡々水の如き心境でないと駄目なんだ』と、おっしゃる。
西山九二三氏あたりになると、もう相場の達人の境であると筆者は思っていたが、おや、この人にしてこの言葉と思った。
酔いもだいぶまわって一緒になって軍歌などうたっているうちに夜は更けてしまった。筆者は、かつての三品黄金時代に天下に名をなした西山九二三物語を、いつか書いてみたいと思った。
さて、相場は甚だよろしからぬ姿である。地合いも、きわめて悪い。
大衆は、なあに引かされても千五百丁、と腹をくくって強気したけれど、現実に値崩れしてくると、そうも楽観しておれない。
追証が迫り、投げが散見される。結局山梨、三晶のペースにはまってしまう。
さし当たり先限の一万四、五百円。期近の万円割れ時代。逆ザヤに売りなしならば順ザヤに売りありとなろう。
そのあたりで反発して、あと全限万円割れ相場となるようだ。
●編集部注
これまで何度も書いてきたが、相場は意地悪だ。
〝万円割れ〟と書くと割れてくれない。忘れた頃に割れたりする。
【昭和四七年四月六日小豆九月限大阪一万一四五〇円・一〇円高/東京一万一四八〇円・九〇円高】