結局萬円割れ 戻りに力がない
ガラガラとくれば全限一万円割れである。そのような場面がありそうな相場つきである。
「山吹や暮ゆく水のとゞまらず 水巴」
三千円台の買い玉、四千円台の買い玉、投げきっていないということで、二千円前後の買いつきも、また、陽気がよいのに水つかりで頭のいたいことおびただしい。
買い玉に未練の糸がからみつき、ナンピンに次ぐナンピン買い下がりも、千円台割れからは気分がもてない。
今週末から春の交易会が開始され、来週から小豆の成約価格や数量が相場に影響しだす。
ケイ線では三月23日(彼岸の明け)の安値が大底と見ている人も多いけれど、この値段は簡単に割り込んでしまう状況下にある。割った時に人々は、きっと二番底だというだろう。
筆者は、総投げが、どの時点から出るかに関心を持っている。
先限の一万二、三百円。あるいは一万円割れ。
只今現在の趨勢線の線上に、そういう値段が出ることを線型は物語っているのである。
新橋、山梨商事の店内の空気では、将来この小豆相場は七千八百円の水準という、買い方をして身の毛のよだつ値段を想定している。そうかもしれない。北海道が平年作以上の作柄ならば、ないとは言えない。
46年十月七日。二万一千四百円を付けた小豆が散文の位置の値段になるかもしれないといわしめるのは時世である。すなわち時の流れというものか。
一般に、高値おぼえが抜けきっていない。当然値ごろ観がついてまわる。しかも天災期限月が先三本。天候相場は、わけもなく高いものだと思いこんでいる人も多い。
長期予報では、楽観出来ない夏の北海道であるけれど、これだけはその場になってみなければ、なんとも言えない。
平年作、あるいは豊作相場をここ数年経験していないから、それがどのようなものであるかを知らない人も多い。
平年作型、豊作型の天候ならば、くる日もくる日も夜が明けたら安い。あるいは動かない。なんともみじめなものである。しかも今年あたり輸入物が大量在庫で毎月毎月繰り越していくのであるから、たまったものではない。当面は一万円割れの相場を考えておけばよいのではないか。
●編集部註
まだはもう、もうはまだ―とはよく言ったもので、チャーチストは印象的な足を相場の北極星にしがち。当ればよいが、外れた場合は悲惨。今回の文章はそんな内容だ。
ここまでは行かぬと信じた値位置が崩れると、当然相場は荒れる。ただ相場が荒れるという事は、
大波が生まれるという事。 この大波目当てに、命知らずがサーフボードを抱えて海に入っていく。
【昭和四七年四月十日小豆九月限大阪八〇円安/東京九〇円安】