昭和の風林史(昭和四七年五月十五日掲載分)

山梨、山大激突 夏の陣の前哨戦

元帥は燃え、山梨は受けて立つ。東穀夏の陣は、ようやく殺気に満ちてきたのである。

「鮒鮓や彦根の城に雲かかる 蕪村」

加藤文利氏の丸松物産のワニスビル五階の上が安藤勝一郎氏の川村商事で、川村商事といえば人絹糸仕手戦で名をなしたプロ店である。ここには賀来健氏(専務)や久松栄治氏(専務)が気鋭の念に燃え、このほど東穀取引員の山崎商事のシートを入手して注目された。ここの店内はカーペットを敷きつめ、大きな神棚にお燈明があがり、日本刀ひとふり、日本刀がひとふり、大金庫の上に紫に包まれ一種独特の雰囲気で、いうならプロ投機家の店。社長の安藤勝一郎という名前から、なんとなく上総、利根川の水になじんだ親分を連想していたが、静かで小柄な紳士である。どことなく店全体がピリッとして小粋なのもうなずけた。

さて小豆相場のほうだが、面白くなった。

なあに、悪い事は判っているのだ、吊り上げたところで、結局は俵の重味でジリ安が見えている―と、片付けてしまうことも出来る。

人気を、ひとわたり強くした。しかし二千円大台は抵抗がある。

安値(25日)から一番よく戻したのが八月限の千九百円幅。先限で生まれ値が最安値。千四百丁高をしているひと相場だ。底入れ人気→出直り感を強めるのも当然である。

しかしどうだろう。戻り一杯したのではないかという見方も出来るが、週末の東京市場は山大の杉山重光氏が強烈な買いの手を入れ、これに向かって山梨が豊から売り応じ山大、山梨の火花を散らす激突の前哨戦を思わせた。もとより相場の強弱は親子でも別。君は君。我れは我れ。

強気陣営は六月、七月長雨、そして晩霜必至―と読んでいる。

山梨、三晶を血祭りにあげよ!!という殺気さえその陣営に満ちている。

大して売り方陣は天災期の激突、白兵戦を控え現物実弾手当てに満を持し東穀夏の陣の幕は、すでに切って落とされた。

思えば昨年秋、苦戦の買い陣営から戦い不利と早逃げし、増山氏グループから〝しょせん、ちんぴらだ〟と罵倒(ばとう)された板垣某なれど、その進退煎れ投げの見事さは当代随一、その彼をして大石、土井その他から大量売り玉ドテン買いして火をつけたこの相場、元帥は燃え、山梨また堂々受けて戦う。さて、相場はどのような展開をしようか。

●編集部注
時代も鑑みて、この対決は、穀取チャンピオンまつりと表現出来る。

【昭和四七年五月十三日小豆十月限大阪一万一六〇〇円・二〇円高/東京一万一五三〇円・二〇円高】