昭和の風林史(昭和四七年五月二十九日掲載分)

大勢影響なし 噴き値再売り場

暴落納会ぐらいで驚いていては天候相場は渡れない。こういった噴き値を売るのが判りやすい。

売り方にすればまさに寝耳に水、青天の霹靂ともいうべき各地市場の暴騰納会であった。

『なあーに納会なれば豚も食わぬ台湾小豆が渡される。安値納会は免れぬ』とタカをくくり、やや売り安心の気分にひたっていただけに、電気にでも打たれたようにショックは大きかったようだ。

産地が赤い尾を引いての千丁高〔北辰の予想外の受けが原因〕を演じたのを契機に消費地市場の納会も「大量売りハナ」に、あっさりと万円台を回復する放れ業をやってのけた。これかだら納会の予想はしないに限る。

〝豚も食わない代物ならネズミにでも与えたらよい。場で投げるよりましさ〟という受け手が現われないとも限らないのである。

それでなくとも、早や種まきを終えて、これからは発芽期を迎える。霜一発はもとより、低音、日照不足、台風、早冷…何かと幾つもの関門をくぐり抜けなければならない長い道中の天候相場である。

順気、順気で豊作なら、それはそれであきらめもつくというもの、まして一万円近い値ごろなら買い思惑の仕甲斐がある―という見方もあるだろう。

それで相場の方だが市中の人気も大分これで変わり、妙味がましてきたようだ。

強気が天候思惑に賭けたロマン派なら、売り手は〝木枯し紋次郎〟ばりにニヒルな表情で、「高いのはあっしにはかかわりのねえことでござんす」と、採算表をにらんで戻り反発場面を売ってくることになる。

そして一般投機家は昨日の弱気は今日の強気―と地合いの移り変わりを眺めて、気ままな道中である。

これだから相場は面白い、やめられない。下げの一方通行、上げっ放しの相場は一旦手じまうと〝玉なし〟で心ならずも観客側に回らなければならない。適当に、時にヒステリックな興奮状態となり、激しい値動きも必要である。それが市場振興の役目をも果す。

〝遊び〟のない人生―無味乾燥である。息がつまる。いずれ下げる相場でもその間の遊び(反発)がなければ味気がない。

小豆相場は噴いたところを売り向かうのが判りやすい。

●編集部注
昨日掲載された記事から、五日経過している。

月の変わり目は相場の変わり目。納会と発会で穀物相場はよく動く。

狼狽売買の典型としてご覧頂くと勉強になる。

【昭和四七年五月二十七日小豆十月限大阪一万〇七二〇円・四三〇円高/東京一万〇七四〇円・四五〇円高】