2014.06.19

6月16日付 メリマンコラム  《長期見通し》 その2

ならばモディがそれを果たす男かもしれない。ひょっとすると、彼は任期1年目にしてノーベル平和賞に値する人物となるかもしれない。これは凄いことではないか! まぁ、引かずに聞いて欲しい。彼はインド人だ。彼はインド哲学によって教育されており、それはおそらく人類によって考え出された最も賢明で最も非暴力的な思想体系だ。だからこれは歴史的なことだ。ジェレミー・カールによれば、“モディはインド独立以来67年間の大部分を支配してきた国民会議派によるのではない、最初の多数派政府を率いることになる”。これはジョージ・ワシントンやバラク・オバマ、マーガレット・サッチャーの登場に匹敵する。

モディは1950年9月17日に生まれた。つまり乙女座の子供ということになる。乙女座の人々は権力の座を得た時、非常に興味深い人物となる可能性を持つ。彼らはしばしばそういった地位に就くのだが、それは彼らが仕事をするにあたって基礎から一つ一つ積み上げ、その途上でどんな些細な点も見逃さずに理解していくからだ。彼らは人生体験において他の人々と同じ道を辿ってきたことを活かし、目的達成への取り組みに関わる人々全てにとってのニーズと価値観を理解するという、極めて特異な生来の質を持つ。彼らの強みは誰に対しても親しみを感じることの出来る能力と、誰に対しても奉仕したいという願望にある。彼らが何をするにせよ、そこには奉仕の感覚と自己の手腕に対するプライドが伴うのだ。 

謙虚な心を持ち、自分自身の来し方、とりわけ辛い思いをした時期とその道すがらに出会った人々のことを忘れずにいる時、彼らは最善の働きをする。自分が誰であり、そしてどういう道筋の結果としてここまで来たかを覚えている限り、彼らは偉大なリーダーになることが出来る。これが彼らの強さであり、生まれ持った太陽が与える意志の力の源泉なのだ。

ではカーディナル・クライマックス直下、世界的な権力の舞台上で、モディがまたもう一つの大きな失望の要因となる可能性はあるだろうか? もちろんだ。その可能性はある。彼は神ではなく、神の僕に過ぎない。彼はこの違いをよく理解しているように見える。これは成功し愛される指導者の役割と、失敗し憎まれる指導者のそれとの違いだ。

しかしながら、権力を持った乙女座がトラブルを起こす場合がある。それは、自分こそが状況に適したルールを作れる唯一の人間であり、他者を支配する者であり、他者はつべこべ言わずに彼の裁量に任せなければならないと思い始めた時だ。人々が彼らを愛するのは支配者ぶった態度をとらないからだと理解するよりも、むしろ獅子座的な人物になろうと試みる時、彼らは持ち前の謙虚さと人間性を失う。彼らはより高い目標、聖なる目的、または大衆が支持する理念に仕える者として行動するべく生まれた人々であり、自分一人が命令を下す独裁者としてふるまうべきではない。