戻り売り一手 アク抜け未だし
安値に顔合わせしてもどうということもない。小戻し、反発売りの単調な作業を繰り返すところ。
天災期の相場は罪つくりである。需給相場であれば、これだけ四囲の環境が悪ければ投げと新規売りに取り組み内部要因もすっきりしたものになり、とっくに底入れ―となっていただろう。
幸か不幸か、これからが天災期は酣(たけなわ)である、あるいは…という期待で買い付いた玉が未練となり、下がってくれば買い下がる。さらに相場が下がると投げるどころが〝意地〟をつける。
意地は相場に禁物である。週末にかけての崩れは道庁発表の作付け大幅増反の早耳、そして六万三千四百ヘクタールがショックになったようだ。
六万三千四百ヘクタールといえば、平年作の反収二・五俵としても百五十万俵を軽く上回る数字となる。
これで〝豊〟の字がつき出回り期に新穀が渦を巻いて消費地に殺到する。
もとより道庁発表の作付け動向は絶対的ではない。実績と大きく食い違うのが、毎年の例である。
それでも、六万ヘクタール前後の穏健な見方ならさして異論をはさむ余地はあるまい。
この大増反―作柄順調、そして輸入物小豆…ことごとくが売り方にとってシャクの種になる。
相場は週末の引け値(大阪・先限)が五月二十五日の安値一万二百二十円にきっちり顔合わせした。万円時代に訣別か。それとも三本足の底入れ型になるか―。
ケイ線で判断する向きは実に興味深いところであろう。もっとも、これだけ下げても少しも灰汁(あく)抜けの印象を受けないのはどうしたことか。
恐らく、ここで目先の投げ一巡から小戻そうとどうしようと、まさしく大勢に影響なし―ということになろう。
いや、戻せば戻すほどにあとが悪いということである。
結局、値ごろ、市場の人気がどうであれ、ただ戻り売り方針を貫けばよいのだから、これほど判りやすい相場もない。
改まっての強弱もなし。毎日の産地天候を見て、平均気温がマイナスであれば売り玉をはわす、突っ込んでくれば利食い。それを機械的に繰り返せばよいのだから実に単調な作業である。
●編集部注
〝戻せば戻すほどにあとが悪い〟と目先の戻りを予想。言葉に迷いがない。
踊りし筆を引っさげて、この頃の風林火山はさながら名パンチライン製造機の様相を呈している。
気に入らぬ風もあろうに柳かな。
迷わず売れよ。売れば判るさ。
戻りも堪忍。筆致は、実に泰然自若としている。
【昭和四七年六月十七日小豆十一月限大阪一万〇二二〇円・一八〇円安/東京一万〇一四〇円・二五〇円安】