弱気は売るさ 強気は買うべし
ツキがない買い方である事を週末にまた見せつけられた。運は天にあり。方針はのらりくらりで。
「伊勢講の膳に配りぬ皮鯨 三千丸」
週末の小豆の引け味は大変よくなかった。
先限週間足は長い上影を残し実体の短い陽線で、その前の週の長陰線に魚が食いついた格好。一種の売り線である。
この日、株式市場は大暴落。ポンド・ショックである。それにしても小豆の買い方はツキに見離されていると思った。
前日(金曜)の地合いからいえば、この小豆、もう一段高に買われてもよいところにあった。
せっかく盛り上がったところをポンド・ショックで水をぶっかけられたようなもの。
さて、深く下げるようなら、調子に乗って売るわけにはいかないが、下値を残しているだけに戻ったら売る。
戻しは売る。崩れは買う。強弱は無用。
豊作の傾向が見えてくれば、その時は新穀、瞬間的にも九千円割れがあろうが、その時は買い方最後の日。総投げ、ぶちあげが終わってしまえば、豊作に売りなしの相場に変わる。
そのような大幅安は、いますぐには出ない。
新穀と旧穀とのサヤが詰まってきたことは、ガンガン叩いても下値は深くないですよ―と教えているようなもので、されば強気して上値はどのあたりと計算すれば、千円戻しがあるかなし。
まあ、ここのところはのらり、くらりである。
早い目の夏休みにはいってもよろしかろう―などと書くと叱られる。上がらなくても、下がらなくても強弱記者は強弱を書かなければならないのである。ああだ、こうだ、のらりくらりでもいい。またそれを読んで、うーん、当たっている、曲がりよったわい―などと読者が新聞記者に強弱を垂れたまう。
それでどうなのか、この小豆相場は。
左様。下げて先限の九千五、七百円どころ。目先的にそのあたりは止まって反騰の火がつこう。
戻してどうか。戻して先限の一万七百円まで。そのあたりからは皆さん売りたい様子だ。
●編集部注
ファンドと相場記者は相場を休めない。
切った張ったの世界で実弾を飛ばすファンド様と肩を並べるは誠に僭越ながら、我々も常に相場を見ておかればならない。
相場システムはロジカルだが、相場自体はロジカルなものではない。
当然、理が通らない相場つきもある。しかし、放り投げる事は出来ない。
「休むも相場」というが、取引を〝休む〟のであって、実際は相場を見る事自体を休む事が出来ない。
それ故の「休むも相場」という格言なのだろう。
【昭和四七年六月二四日小豆十一月限大阪一〇一四〇円・三四〇円安/東京一万〇一〇〇円・三五〇円安】