昭和の風林史(昭和四七年七月三日掲載分)

槿花一朝の夢 この下げは深い

続落型だ。新穀先二本は九千五百円あたりに陥没するように思う。戻しすぎた相場の惨状である。

「傘借りて睡蓮の咲く辺りまで 青研」

六月の新ポと、そっくりだった七月の新ポである。月末気分一杯買い上げて、新ポの先限寄り付き値が頭。

〝ぶった斬れ〟。〝絶好の売り場〟、〝見えている崩れ〟、六月同様に月末新ポが頭になる―と書いた通りの相場になった。

かなり強気がふえた、そして上値を大きく見た。これで万円割れを売った側と、戻り頭を掴んだ側と五分五分になった。

しかし、もっと高い買い値、すなわち一万二千円どころ、一万一千五百円あたりの買い玉が整理されていないから、取り組み内容としては七分三分で買い方不利と言わざるを得ん。

それにしても、首をかしげる人は多いと思う。本当なら27日の強烈高、28、29日と押して、30日が逆襲高。

こうなると、勢いと弾みがついて大出直りの上伸相場につながると見るのが普通である。少なくとも十月限の一万一千円台、十一月限の一万一千五、六百円ありと見たはずだ。

ところが、一夜明ければこの惨落。アッという間に五百円棒が入った。「判らん」と言うだろう。そうではない。判りすぎるぐらい判りやすい相場である。

戻しすぎたのである。行きすぎである。相場の環境は、なんら変わっていない。単に納会事情、月末の懐ろ関係、そして都合よく船中労の、あっせん流れという材料で千円棒を立ててしまった。間違った戻しである。その訂正で反落した。

産地の天候は悪くない。増反である。不需要期だ。入荷は遅れても、いずれもストは解決する。

しかも、人気を強くさせてしまった。

十二月限はサヤも買えないありさまだ。相場は、また悪くなった。

そこでこの小豆相場だが、どう見る。

あれ以上は買えない―という判然とした相場の限度を見てしまった。

であれば、戻り頭からの千円下げは絶対的である。いや、千五百丁下げになりかねない。それは作柄が進んでいるからだ。

一時的に在庫が減ってもそれは期近限月だけに影響する問題で、遅れた分だけが先のほうに持ち越されるから、よけい悪い。

新穀先二本の弦月が九千五百円あたりに陥没するのは、案外時間の問題かもしれない。
とりあえず下の窓は埋めることになろう。

●編集部注

こういう仕事をしていて、何より楽しいのは、自身の積み上げたロジック通りに相場が進展していく事である。問題はそれが何処まで続くかだ。

【昭和四七年七月一日小豆十二月限大阪一万〇五二〇円/東京一〇五九〇円】