昭和の風林史(昭和四七年七月十五日掲載分)

堂々の上昇へ 時に爆発高あり

小豆相場の呼吸も脈搏も今までと違ってきた。火柱高の前兆である。案外の大相場を暗示している。

「はまゆうに雨しろじろとかつ太く 素逝」

小豆相場は、いままでとは違ってきた。案外な、そして大きな相場になりそうである。

ほぼ一週間、北海道明治の鈴木社長とくまなく北海道の豆畠を調査して帰阪した脇田米穀の阿竹寿夫専務は『天候は実に不安定であった。米から小豆への転作は言われているほど多いとは思わない。正直な話、これは誰にも判らないことである。小豆の草丈は伸びが止まっている感じで、勢いというものがない。現時点でどうか?と問われれば〝よくない〟―と言うしかない。土用を過ぎたらもう一度同じところを見てくるつもりだ』。

台風が接近している。この台風が①どこに上陸するか②日本海に抜けたあとの進路がどうなるかに関心が持たれる。

手亡が突き上げてきた。六限月制との交換条件に輸入白系豆の供用格差を虐待する空気を好感している。それと減反が材料である。安値を叩いた玉も起爆剤になっている。

クロウト筋は、手亡が予想外の大相場、たとえば八千五百円あたりの値段になるかもしれないと言う。それは人気次第であろう。

手亡が突き上げれば小豆も上昇せざるを得ない。

新穀二本、11、12月限の一万一千五百円から七百円。時に一万二千円抜けという動き。

筆者にはそれがあるような気がしてならない。

すでに相場は変わっているのである。七月七日の七夕(たなばた)底。一万円がどうしても割れなかった。

安値で大きなダンゴになっている。あれほど悪いことが言われたのに―だ。

三百円棒がはいり、五百円棒がはいり、そして千円棒を立てて、大底圏脱出となったころに気がつくようでは手遅れというもの。

大底がはいった相場は天井するまで強気でよいのだ。

これで土用の天候に勝負がかかる。

古くから〝土用の入り日から六日間以内に丑の日があれば秋風早く立つ年、凶作なり、二日目、三日目にあればわけて凶という。五日目に雨降らば見かけよくともこの年は実収不足なり〟―という。

今年は19日が土用の入りで三日目に丑の日がくる。

さて、場面は、ようやく天災期の緊迫した場所にさしかかってきた。小豆相場は必勝の信念で強気する以外にない。

●編集部注
相場が上か下かは時が過ぎてみないと判らない。

ここから先の相場は、当時の日足をみるとより楽しめると思う。

多くの相場師の惑いが無数にマドになっている。

【昭和四七年七月十四日小豆十二月限大阪一万〇二八〇円・一〇〇円安/東京一万〇四二〇円・一〇円高】