売り余地ない 手亡も熱狂せん
手亡相場は一度熱狂しないと、おさまらないようだ。小豆も下値の限界もはっきり見せた。
「花ながら形ありたるふくべかな 紀翆」
下げそうで下げない。上げそうで上げない。持ち下げならないという。煮ても焼いてもという。箸にも棒にもかからないとも言う。酢でもこんにゃくでも―などと。扱いにくいもののたとえに使われる言葉だ。
果たしてこの小豆相場、扱いにくいのだろうか。
そうは思わない。下げ余地がないのである。売っても叩いてもあかん。
産地の作柄は、やや不良である。日照不足。成長が進まない。そのことを相場は、まだ買っていない。いずれ買わなければなるまい。
目下のところ七号と九号台風が気がかりの相場である。そして、最も収穫に影響する土用の天候が不安になっている。予報にも低温と雨が出ていた。昨年も今時分から天候が崩れて作柄は急速に悪化したのである。
今年の年まわりは〝水一壬子〟みずのえね。豊凶占いによれば六番極凶にあたる。
明治元年からの統計によれば、この年まわりは九割九分凶作となっていることも気になる。ちなみに昨年は〝暴風〟で収穫が悪かった。
来年は〝霖雨〟そして49年が〝暴風〟。昭和50年から向こう五年間、〝豊糧〟が続くことになる。
出足はよかったが、なんとなくこれからの天候が気がかりだ。そして、一万円という水準は、どうしても強い抵抗があって、そこまで叩いても強い反撃にあった。相場に出来た抵抗力である。
こういう相場は時間はかかっても怖い。なにが怖いかというと、蓄積されたエネルギーが、自然発火すると、とんでもない上昇力に転ずるからである。
長もちあいに油断するなという。すべての悪材料を日柄で消してしまうのである。閑散に売りなしという言葉に含まれている意味をこの際かみしめよ。
小豆に反して手亡相場が七千円大台に橋頭堡をつくった。
六限月制移行を好感しているのと、俵が読めること。減反。輸入品の圧力を小豆のように受けない。安値で売り込んだ―等々の支援材料がある。
しかも小豆が持ち下げならない時だ、営業の態勢を手亡に向ける。しかも煎(い)れがまだ出ていない相場だから、どこかで踏み上げ場面、熱狂するところがあるはずだ―という見方。
手亡相場を馬鹿にしていると、きつい上伸で狼狽することになりかねない。
●編集部注
当時の買い方の心の拠り所は七夕前後の値位置。
アイランドリバーサルギャップと呼ばれるこのマドが崩れたら、強気見通しは崩
れてしまう。
【昭和四七年七月十七日小豆十二月限大阪一万〇三〇〇円・二〇円高/東京一万〇三〇〇円・一〇円高】