昭和の風林史(昭和四七年七月二十二日掲載分)

ど壺にはまる 売り方大底叩く

なにひとつ強気する材料がないということが相場の世界では、なによりの買い材料になるのだ。

「土用波はるかに高しみえて来て 万太郎」

市場は完全に弱気になってしまった。

産地の天候を見ていたら、誰だって強気できない。

強気している人は、それは、やむを得ずしているだけで、高値に買い玉があるためだ。もし、引かされ玉がなければ、きっとその人も弱気したくなる相場である。

だが、相場が上向くと、やはり大底ではないと思わせる相場だ。

三回も四回も五回も叩きにきて、叩き崩せない地点である。

やはり値ごろだな。

織り込んでいるのかもしれない。

安値を売り込んだきらいがある。

先に行っての低温、台風あるいは病虫害を考えておかなければ。

価格が安ければ、品物は売れているのではなかろうか。流通経路が昔とは違っているはずだ。

相場が三百円も反発すれば、いままで青菜に塩だった買い方に元気が出てくる。

〝辛抱だぜ山ちゃん〟。

相場の世界はこれだから面白い。

さて、これといって買う材料がないじゃないかと楽観していると、青天のヘキレキということもある。天災は忘れたころにやってくる。

第一、十勝のお百姓が一万円以下の値段で小豆を売ってくるだろうか。

昨年は一万六千円で売った、いや、わしゃ一万八千円で売ったぞな―。小豆の生産者はそれがなによりの楽しみである。小豆は投機色のいちばん強い農作物である。売れるかい、こんな安い値段で―となれば十勝の小豆は、そっくり棚上げしたような格好になる。

作がいい、遅れを取り戻した、などとここ両日言われだしたが、冗談じゃない、どこを衝いたらそんなことが言えるのか、と産地の畠をかけずりまわっている人たちは言う。

いや、それは相場が言わすのである。

お手手のよくない阿波座連隊は思いきり高値掴みをしたあと、安値をぶっ叩いてド壺にはまった格好。日ごろ来、アパッチ族の昼夜をわかたぬゲリラ攻撃にもかかわらず、先二本は放れなかった。アパッチはその点、あきらめがいいから攻めても駄目だと判れば白と黒のマダラの裸馬の手綱(たづな)を返して引き揚げてしまうかもしれない。

●編集部注
昔の相場に〝手〟はつきものであった。

江戸の昔から手振りで場を通していた名残か。
 
阿波座連隊が可哀相だ。手が良い御仁なら「損切りドテンは福の神」と書かれていた事だろう。
 
日頃の行いは大事だ。

【昭和四七年七月二一日小豆十二月限大阪九八六〇円・六〇円安/東京九八九〇円・五〇円安】