昭和の風林史(昭和四七年七月二十四日掲載分)

天神底と見る 陰の極限を這う

天神さんに願かけて天神底になりますように。きょうは宵祭り。23日、日曜は大暑。節である。

「梅干してあたりにものの影もなき 風生」

今にも降りそうな空模様。

そういう軟調な地合いが続いている。買い玉は、すでに観念している。パラパラと商いの薄い市場に投げ物が見られる。なんとも凄惨(せいさん)だ。追い証に耐えられない。気持ちが持たない。大玉といわず小玉といわず証拠金切れや追証不能の手仕舞いは自決である。

暑さが厳しい時の自決はことのほか凄惨さを感じさす、それは太平洋戦争の末期を連想させるからである。

三文、五文。値幅にしたら小さいようでも、毎日毎日、値が消えていく。まるで身を削られる思い。買い方の苦痛は察するにあまりある。

こういう見方も出来る。納会にかけて、期近限月から、かなりの投げ物が出よう。それをきっかけにガラガラとくる。

買い方、総投げに近い場面があるだろう。

先二本で九千二、三百円あたり。そこで小反発はあっても、また軟弱地合いの今のような相場が続くが、投げが出さえすれば案外スッキリとした相場になるのではないか―。

実際の畠はいざ知らず、温度表を見る限り土用の高温は作柄に、良い影響をあたえていると判断するのが常識である。ならば先に行ってはともかく、いまの水準は、売り余地ありと言えるかもしれない。

一方、いや、絶対信念を曲げない。この戦いは持久戦である。崩れても、あと、五、七百丁。その嵐さえ耐えきれば自律反騰に必ずつながる。

人気は非常に弱くなった。満目総悲観である。なにひとつ、よいところはないが、世の中、そう悪い日ばかり続くものではない。

値段が値段だけに、ひとつ間違えば、逆に五百円ぐらいの反騰、逆襲があるかもしれない。

納会にしても数年来の安値だけに目に見えない受け手が出かねない。

いや、われながら苦しい書きかたである。

大阪は金曜が難波神社の御祭礼で塩町の砂糖取引所は休会して、土曜日は坐摩神社のお祭りで三品と化繊取が休会だ。そしてきょう24日は天満は天神さんの宵宮で、暑さが最も厳しい時分。

お祭りの麦酒のコップを傾けながら、あるいは天神底になるのではないかと、なまぬるい、ほろ苦さを味わうのである。

●編集部注
相場に負けると、人はロマンティストになる。

名人とて同じである。

【昭和四七年七月二二日小豆十二月限大阪九八一〇円・五〇円安/東京九八五〇円・四〇円安】