昭和の風林史(昭和四七年七月二十九日掲載分)

愁いて語らず 月末敗戦処理へ

哀怨徘徊愁いて語らず。恰も如たり初めて楚歌を聴きし時に滔々たる逝水今古に流る。

「ひるがほや川となり又みちとなる 蚊杖」

旧穀限月の万円割れからの千円下げは、これをまともにかぶった人は実にこたえた。それだけに26、27の両日にわたって、かなりの投げ物が出た。
新穀限月のほうは産地の天候が崩れているだけに九千五百円以下は、売り方も警戒してか、深追いはしてこない。
さて、弱気一色に染まった市場、極端な人は期近限月の八千円割れを言う。輸入品の圧迫、売り方の手にある現物、強力な買い方不在、作柄の良、増反―等々。
線型は底抜けの典型的な悪型である。どちらを向いても、なにを聞いても買い玉に希望を持てるなにものもない。
その限りでは、よほど、天候が悪くならない限り、この相場は戻りを売られる。
しかし、値段としては、あきらかに下げすぎた感じがする。
秋の需要期を控え、また立ち枯れ病や低温、台風、早霜など―、収穫までには幾つかの山を越えなければならない。
それに取り組み面も日柄、値幅の両面で、以前に比べれば、かなりの整理が出来ており、売り玉平均も安値にきての取り組みになっている。
産地はこれから開花最盛期に向かう。その日その日の気温と天候に最も神経をつかう時期である。
整理が出来て、日柄経過の相場が落ち着きさえすれば、新規の買い思惑も出てこようし、材料も呼応して出現するかもしれない。
今はただ七月戦の終戦処理。八月戦に準備して巻き返そう―などという大それた考えなど買い方には微塵もない。
だが、相場というものは、あくまで皮肉に出来ていて、万人があきらめ、そして総悲観、総弱気になったあたりで底入れして、すんなり出直ってくるということも考えておかなければならない。
明日に望みがないのではないが―という歌の文句(国境の町)もある。
ともかく相場は日柄と取り組みである。新値足四十四、五本。止まるべき相場が納会に遭遇してドカ下げ、これで灰汁(あく)が抜けたと見る。
三軍散じ尽くして旌旗倒れ、玉帳の佳人座中に老ゆ香魂夜剣光を逐うて飛び青血化すて原上の草と為る、芳心寂寞として寒枝に寄せ哀怨徘徊愁いて語らず。

●編集部注
四十二年前の本紙では敗軍の将が語っていた。

【昭和四七年七月二八日小豆十二月限大阪九六四〇円・九〇円高/東京九六〇〇円・三〇円高】