昭和の風林史(昭和四七年八月一日掲載分)

底固めの段階 落葉病多発化

新穀が九千五百円を割ると深刻である。月末の味では、抵抗があるように思えた。

「つれなさの切なさの青唐辛子 鷹女」

すでに八月となりにけり。

31日は休みの日の高温を風呂敷に包んで持ってきたように、寄り付きを待っていて、ぶちあげた相場である。売り方は、一二の三で、そーれとばかり売り物を出して値を冷やす。

旧穀限月はいうことをきく。さぞ面白かろうと思う。

小豆の叩き売りである。

売っている手亡が高く、買っている小豆がやすいつれなさの切なさの相場かな。

きょうは、もう一月限が登場する。半年むこうの来年の一月に納会する限月だと思うと、なんとなく買ってみたくなる。

安値生まれ、しかも万円割れの値段。

駄目だよ、こんな相場買っても―という声が聞こえないでもないが、いいんだよもうここまで来た以上はと逆らいたくなるのは、曲がってすでに久しいために心もねじれて素直になれないからであろう。

ああ、お気の毒に、みえないのかなこの悪い相場がと、売り方は、あきれるところである。

病膏(こう)肓(こう)に入る。=こうもうではない、こうこうと読む=不治の病気が、もう手のほどこしようのないところまできていることだ。

膏(こう)は胸の上部、肓(こう)は心臓の下。病魔がここに逃げ込めばいかな名医も探し出せないのである。

小豆の買い方は不治の病いである。病魔に取りつかれている。山師は山で果て、川師は川で果つというが、買い屋は買いで滅亡し、売り屋は売りで滅亡す。

それにしても先二本このあたり抵抗がある。

27日付け十勝毎日新聞によれば一面四段見出しで「小豆作りに赤信号。防除方法ない落葉病、多発の兆し」とある。

「この被害発生畑は昨年の同期の調査より多く、今年は前年以上の小豆の畑に落葉病被害が出そう―と道立十勝農試は語っている」。

小豆の落葉病はテンカン病と同じで、あとから気がつく。あとはふかないが、あわをくうことは確かである。

売り安心している市場にとって、あるいはこの落葉病が電撃的ショックをあたえることになる時がくるかもしれない。

●編集部注
ファンダメンタルズが必ずしも実勢相場とリンクしない事はよくある。

最近の白金相場がその典型。世々を経ても変らない相場の真理である。

こおいう時は生き残った人間が勝者になる。

【昭和四七年七月三一日小豆一二月限大阪九五五〇円・二二〇円安/東京九六一〇円・一八〇円安】