昭和の風林史(昭和四七年八月三日掲載分)

〝秋揚げ〟次第 人気面は陰の極

刀折れ矢尽きた買い方、人気の面では「陰の極」だ。時には一縷の望みに賭けることがあってよい。

道農務部によると、八月一日現在の作柄状況は「開花はじめで、成育は平年並み」―と。

平年並みというと脳裏をかすめるのが百五十万俵の収穫であり、余り物に値なしから豊作貧乏大根時の大根―と、医者の車ではないが、次々と悪い方、悪い方へと連想が働く。

無念やるかたない買い方の投げに合わせて、売り方は漸次利を入れる。もはや勝負の〝ケリ〟がついていることは、強気している者でも重々承知している。

しかし、一縷(る)の望みがないわけではない。それは落葉症の多発化か、あるいは四年に一度の割合で大きな被害をもたらす早霜かもしれない。

それゆえに「むなしい値ごろ観」と、いかにあざけ笑われようと、時にはかすかな望みに運命を託す者も多い。

勝負は下駄をはくまで…というが、小豆相場の攻防に決着がつくのは〝秋揚げ〟がどうかである。

あるいはこう言うのも、どうにもならない買い玉を抱えての未練かもしれない。が、皆が皆よくもこうまで弱くなったものである。買い方にしてこの自信のなさはよほどの場合で、真夏の怪談話ではないが、背筋にゾッとした寒気を覚えるほどの湿めっぽさだ。

人気の面からは明らかに「陰の極」といえる。

ただ、刀折れ矢尽きた買い方に反撃を試みる力が残っていないのと、その手がかりさえつかめないのが昨今の現状である。

作柄にしても、よい畑はきわ立ってよいが、そうでない畑は反収一俵以下と非常にムラがある―という。

そのはずである。変動の大きい気象に加えて、二万一千ヘクタールという

稲作転換農家にすれば、転作奨励金を受けるなど、出来秋の換金に際して値は幾らでも構わないのだ。

最低手取り一万円に固執する十勝地区の農家とは、はじめから〝豆作り〟の意気込みが違うのである。

弱気は増反の数字を過大視し俵(たわら)の洪水を頭に描き、値に構わずせいぜい売るがよい。

霜が降りるときは夕方、快晴無風で、星の光が強くチラチラする場合という。一夜にしての〝逆転劇〟を信ずる者が中にはいてもよい理屈である。

●編集部注
この時、買い方の風林火山の風林火山の心は折れていない。行間からは少なくともそう読める。

自著の中で「シマッタは仕舞え」と書いているのだから、恐らく〝シマッタ〟と判断するのは早計と判断したのだろう。

【昭和四七年八月二日小豆一月限大阪九二七〇円・六〇円安/東京九二八〇円・六〇円安】