無気力小豆に やりにくい手亡
小豆は、もう、もう言いながら、まだ、まだという地合い。手亡は飛び付き玉の整理場面。
「罌粟咲けりあかつきあさき夢の中 宇美彦」
七月末現在の消費地四市場の小豆の在庫は国産、輸入品ともに減少したが、順気に恵まれ、作況は〝豊作〟が言われ、また買い長の取り組みが完全に整理を済ませていないことから、値段としては止まってよいところにありながら、依然軟弱な市況である。
週明けは目立つ買い玉の西田の店が投げているようである。この手は、ジグザグ縫うように取ってきたが、結局、つかまった格好。いかなる相場巧者も大勢に逆らっては勝てない。
月曜の相場では、地合いは依然として変わっていない。売り方に〝制空権〟を握られたままである。
すでに産地は開花最盛期。反収一六〇kgが伝わる。①天候が崩れるか②病虫害多発などの材料が表面化するか③総投げによる、この水準からの一段安で玉整理を強要するか④需要面を刺激する動きが出るか⑤あるいは売り方の積極的な利食いという動き―などがない限り相場の基調は硬化しそうもない。
そういうことであれば、いつまでも不利な建て玉(買い玉)を持ち続けずに、有利な建て玉に切り替えればよさそうなものだが、あと下げてもという気持ちや、もうこのあたりという考えなどがあって、苦しいながら、じっと辛抱している人が多い。
新穀の九千円割れはもう見えているようだ。十一月限が一万二千二百円で生まれて二千円台、千円台、一万円台と大台を三ツ割ってきた。すでにその下げ三千円替えにもなる。
そういうところから、止まるところではないか、と淡い期待を持つのであるが結局は、それがかえってよくない結果になっている。
一方、手亡の相場はどうだろう。誰でも在庫量が読める。減反。輸入品の格差が虐待されている。小豆の不人気を手亡でカバーしようとする動き。待望の六限月制―という要因は承知であるが、七千円台の新穀三限月をいささか飛びつき買いしたきらいがあって現在、その整理という段階である。
もちろん、売り込めば、ひねられるという事を知っているから、積極的にも売れない。いうなら、やりにくいところである。
●編集部注
文中で登場する「西田の店」とは、西田三郎商店の事である。
大阪の北浜にあった西田三郎商店の社屋は非常にモダンな造りであったが今もあるのだろうか。
東穀取もマンションに建替えられて今はない。
【昭和四七年八月七日小豆一月限大阪九一九〇円・一七〇円安/東京九二六〇円・一二〇円安】