昭和の風林史(昭和四七年八月九日掲載分)

三軍衰老せり 敗馬号鳴向天悲

小豆の新穀九千円割れは買い方終戦地近しを思わせる。手亡もこの天候では減反が材料にならない。

「石庭の石のほてりの残暑かな 渋亭」

新穀限月が九千円ラインを割るという事態を目撃しては松尾芭蕉の句ではないが、むざんな兜の下のきりぎりす。夏草深き古戦場に朽ちた兜が転がっている。むれるような草いきれ。きりぎりすの声もあわれである。八月は終戦の月。

終戦といえば「朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し―」という終戦の詔勅の冒頭の言葉が脳裏を走る。

「…各々最善を尽せるに拘らず戦局必ずしも好転せず、世界の大勢また我に利あらず―」

終戦の詔勅は、思うたびに切切陰陰たるものがある。

小豆の買い方は、極限状態である。

もう、なにも言うべき言葉もない。

いずれは、大底が構成されることであろうが、今はそれさえ言うべきではない。
孤軍奮闘囲を破って帰る。一百の里程塁壁の間。わが剣すでに折れてわが馬斃る。秋風骨を埋む故郷の山―(隆盛)。

開花最盛期にはいっての高温。日照時間に不足なく作況至極順調。巷に豊作の声充満す。相場よ、相場よなんじどこまで下げる。

去年は桑乾の源に戦い、今年は葱河の道に戦う。兵を洗う条支海上の波、馬を放つ天山雪中の草。万里とこしえに征戦、三軍ことごとく衰老。匈奴殺戮を以て耕作と為す。古来見る白骨黄沙の田。秦家の城を築いてえびすに備うる処、漢家また烽火の燃ゆる有り。烽火燃えてやまず征戦巳む時無し。野戦格闘して死す敗馬号鳴天に向かって悲しむ…(城南に戦う・李白)。

さしもの手亡相場も作柄がよければ減反分は材料として消されてしまう。それに限月延長を御祝儀気分で買ったその裏が出ている。

人々は小豆を買って苦戦し、生糸を買って憤死し、手亡を飛びついて青息吐息という状態である。

なぜ、こうも悪いほう、悪いほうにまわらなければならないか。

相場は人気の裏を行くとは申すけれど、まるで人のポケットの中までのぞかれているような、あまりにも皮肉な現象である。

 ●編集部注
三軍衰老せり―と書いているものの、
終戦の詔勅を引用しているものの、
「…堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ…」とは続かないという点に注目したい。
これは高尚にして、お茶目なボヤキに過ぎない。
事実、この年の一月に無条件降伏した時は「読者諒とされよ」のみの白紙記事が紙面を飾っている。

【昭和四七年八月八日小豆一月限大阪九〇一〇円・一八〇円安/東京九〇四〇円・二二〇円安】