昭和の風林史(昭和四七年八月十八日掲載分)

厳粛なる大底 手亡も底値確認

小豆も手亡も底をした。ああ大底。底とは、こういうものかと、しみじみ思うのである。

「法師蝉ばかり休暇の一日は 羽公」

山梨が売り玉を手仕舞い、西田が買い玉を投げていた。

小豆相場としては、底入れである。

やっと―という感じがするのである。

盆にはいっての14・15・16日のこの三日間の小豆相場は、明らかに底型を思わせる。そして17日の〔下寄り→あと反発〕は、そうあるべきところで、そうなったという相場だった。

七月の一日から月中いっぱい下げ続け八月中旬まで実に長かった。こんな苦しい相場も初めてである。遂には言うべきことなしの絶望の色で相場を塗り潰した。

売り方の目標であった旧穀の七千円相場。そして新穀の八千五百円。これが実現した。

確かに強気をいうべき材料は現在見当たらないけれど、相場が底入れして新穀が九千円台に回復すれば、どこからともなく硬材料、買い材料が出現する。

当面、五、七百円幅の戻りがあるように思う。戻したところは、売られるかもしれない。いや、必ず売られよう。

それからが相場ではなかろうか。投げるべきものは本当に投げ尽くした。

投げなかった玉は、あと千円下げても投げない玉だ。

手亡相場も一足早く底値を脱出した。

先限の六千八百円が、やはり抵抗帯である。手亡の当限の六千三百円。なんと堅かったことか。

買うべき材料はなにもない。なのに相場は下げず。それが逆に高い。となると相場の世界では、底がはいった→材料なしで直る相場は怖い…となる。

手亡がそれである。人々はいろいろと材料やその背景を言うであろうし、書くであろう。それはその通りなのだが、相場自身が自分の意思で直っていく。

小豆もそれが相場である以上、同じことが言える。あれほど辛抱し、よく頑張ってきた西田の大量買い玉が〝投げて投げた〟それは身を切られる思い、骨を断たれる思いであろうと思う。即ち断腸である。お酒に酔って〝断腸ね〟とうたうのとは、まったく違う厳粛なものである。あと一、二日頑張れば―と人々は思うかもしれないが、そうではない。相場師は、どん底で投げるものなのだ。相場は底をした。

●編集部注

この文章、自らに言い含めている感がある。

是非に及ばず。そう書かねばばやってられない。

昔、ある古参相場師が語っていた。売り屋が売って、買い屋が売ったら底であると。含蓄がある。
 
この段階で、買い屋は売ったが、売り屋は買い戻している。投資心理にまだ余裕がある点に注意。

【昭和四七年八月十七日小豆一月限八七五〇円・一一〇円高/東京八八〇〇円・一二〇円高】