昭和の風林史(昭和四七年八月二十八日掲載分)

薄紙一枚一枚 剥がすが如く…

今週に期待を持たせる小豆の引けだったし手亡もひと反発するだろうと予想させるものがあった。

「馬追ひや寮にある子も寝まるころ かな女」

小豆相場は陽線を四本立てて、週末の引け味は今週に期待を持たせるものであった。

特別取り上げて、なんという材料があるわけでもない。材料という材料が言い尽くされたことと、秋の需要期入り、そして底値にとどいたという感じ。しかも、ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、どうにか高値の因果玉も整理が進んだ。

値幅による整理と、日柄による整理。それで相場の灰汁(あく)が抜けた。下剤をかけて、綺麗になった取り組みである。

そしてここに約15日間、各限月とも日足線は大きなカタマリをつくった。本来ならば21日(月)の高寄り長陰線ぶっ込みで、相場はガタのくるところであるが、逆にその高値を再び取りに戻すという線型は、これは〔相場が底値圏にはいっての強力な売り線出現は、逆に買いになる〕―典型的な現象といえる。

下げ余地がないということを、少なくとも相場する人ならば感じ取るわけで、売り玉の手仕舞い、新規の思惑買いが、この一週間(八月第三週)ようやく活発になったのである。

さてここまで値段が締まってくると、次はなにかキッカケとなる硬材料が出現するもので、九千円台の足場をしっかり固めれば新穀九千五百円も充分考えられる。時しも産地の気温は急速に低下しつつあり、これが早霜予報など出れば急騰必至の筋合い。

一方、手亡の相場も減反発表(農林省)で飛び付いた21日月曜の高値に向かって回復しようとしている。

見ていると、手亡の当限六千三百円には頑強な抵抗帯があり、新穀また六千八百円。七千円に〝採算〟という抵抗があって、これだけは売っても叩いても、どうすることも出来ない。

そうなると、やはり売り方は限界を知り、売り玉の手仕舞いを考えるし、下値なしと判断すれば買い思惑が介入してくるのが当然。

手亡の作柄は小豆ほどよくないと伝えるだけに収穫までの間、さまざまなアクシデントが予想される。

いずれにしろ、さしものあずきも、そして手亡も底が入ってしまえば〝そこが底〟で、薄紙一枚一枚はがすように自力で相場は直っていくのである。

●編集部注
 その昔、今は亡きとある商品会社の支店長さんから「小豆相場の罫線殺し」の話を聞いた。

 素人でも知っている、売買シグナルの典型のような線形が罫線上に現れて大衆が動く。その玉に対して、腕力でもってその大衆玉に向かうのだ。

 大衆の心が折れるまで、その向かい玉は続く。

【昭和四七年八月二六日小豆一月限大阪八八九〇円・七〇円高/東京八九〇〇円・三〇円安】