昭和の風林史(昭和四七年九月八日掲載分)

豊作の値段か 低迷横這い模様

豊作の値段が出ているとも言える小豆だが、戻り売りを言う人が多い。手亡は悪目買い人気。

「たいらかに落ちて一葉や草の上 鳥頭子」

相場の大台などというものは処女膜と同じようなもので、割ってしまえば、なんという事もない。小豆の新穀限月の八千円も割る、割らんはウィスキーを水で割るかストレートでやるかの違いみたいなもので、別に大騒ぎすることもない。

九日の〝雑穀澱懇〟の発表数字として小豆の百八十九万俵、手亡の四十六万八千俵が嫌気され、この期におよんでガタガタときた。

一方、綿糸相場や毛糸相場は暴騰している。君は君、我れは我れ―とはいうけれど、安いものは安く、高いものは、あくまでも高い。

それにしても手亡の相場の、なんともモロイ事。だから手亡は難しい。ミシガン・ピービーンズNO1などと、新型のピストルみたいな名前の白豆が五百㌧契約出来たという噂が市場に流れガタガタときた。

手亡九月限で減反発表時にワッと買ったのがちょうど七千円である。

あれから日足線十二、三本で千五百円幅の下げであるから頭をかかえ込む。

なんの事はない、五千円台の手亡に、七千円台の小豆。世の中変われば変わるものである。

そこで、この相場どうなのか。戻り売りを言う人が多い霜のほうはどうなのか。百八十九万俵収穫予想で、八千円を割った値段は、豊作織り込みと見ることも出来よう。安値に張りついてしまうことも考えておかなければなるまい。そのうち取引員が悲鳴をあげる時がくる。

そうなると、やはり手亡の相場でお茶を濁すしかないだろう。六千四、五百円以下の手亡を買っておけば、またなんとか色もつく。小豆が戻り売りなら手亡は悪目買い。しかし、それも〝当てごと〟であるからはずれるかもしれない。

総体に言えることはどの取引員も、小豆、手亡とも高値買い付きの取り組みで、いかに、もうもう言いながら買って、まだまだ―で下げてきたか、まさに悪質な肺患症状であった。

筆者はこの原稿を書いたら山本博康先生の大きな車に便乗させていただき京都のセミナー会場にいく。相場のほうには関心がない。

●編集部注
 「なぁに君ぃ、この相場は戻り売りだよ」とでも嫌いな奴に言われたのか。少々、いや多分に、小豆相場に辟易している印象を行間から感じる。

 買い方の心は、充分に折れまくっている。売り方の心は緩みきっている。

 天災は忘れた頃にやって来る。相場の急変動も、忘れた頃にやって来る。

【昭和四七年九月七日小豆二月限大阪八〇一〇円・八〇円高/東京八〇〇〇円・一一〇円高】