昭和の風林史(昭和四七年十月二十日掲載分)

つれ高のあと 反落待ちの場面

交易会の成約のニュース次第では一時的にも急落はまぬがれぬ。手亡につれ高の小豆は売り方針。

十月二十日は関東地方では恵比寿講。関西、とくに京阪神では誓文払いのシーズンである。

今ではどちらもデパートあたりの中元大売出しと、年末大売出しとの中間の売り出し期間の代名詞のようになっているが、元来、誓文払いというのは商売人―むかしは遊女も含めて―がいつも嘘をついて儲けているのを反省し、せめての罪滅ぼしのために安く売るというのが起源であったという。

このところ誓文払いは秋の広州交易会のシーズンと毎年たまたま一致している。小豆の相場に関心のある者にとっては中国がどのぐらい、いくらで小豆を売ってくるか賢明にその動向を注視しているところだ。

去年はどうであっただろうか。第一回の契約が二十一日と二十二日にできて約九千㌧がらみの輸入が決まった。

この成約の第一報が入ったのは二十一日前場三節前そして後場三節は大阪では先二本がストップ安、東京でも十二月限がストップ安。

そのあと第二回目の契約が二十九日、三十日と行なわれ、およそ六千㌧できた。三十日も先限がS安そして十一月一日新ポは全限がS安。

誰もがこれで交易会の契約は終わったと思った。一万五~六千㌧の成約によってすくなくとも小豆上場廃止という最悪事態も回避された。証拠金も引き下げられたので今度は買い方の反撃だと期待されていた。

それが十一月十五日の交易会終了直前になって量こそ数百㌧にっとどまったが、寝耳に水の第三回目の成約があった。当然十一月十三日は三度目のS安となった。この日の先限値段は一万五千五百九十円(大阪)。今からみればそれでも雲の上のはるか彼方の高値である。

今年はどうか。値段が値段だけに輸入業者はそれほど積極的ではない。まあせいぜい数千㌧どまりというのが一般的な見方。

しかし、あり余る上での数千㌧であるから、これは重荷には違いない。

昨日は手亡の堅調で小豆も小反発。売っている方からみるとなんとも底堅いようにも見えるが、今かりに九千円台まで戻ると、数千㌧の制約が一万㌧にもなる可能性がある。

小豆の九千円以上は売っておけばよい。

一方、手亡もこれからは売り上がり。円の再切り上げ、輸入の自由化も近い。

●編集部註
 少し前、風林火山が指摘したソーサーボトムは、得てして左右対称な罫線を描く事が多い。九月が底辺なら、十月は八月以前の逆トレンドになる。

【昭和四七年十月十九日小豆三月限大阪八六二〇円・八〇円高/東京八六六〇円・一〇〇円高】