白けた場面へ 師走崩れを暗示
安納会は十二月相場の崩れを暗示させた。台湾小豆も成約の動きに出ると場面は白けてしまおう。
「風に聞けいづれが先にちる木の葉 漱石」
織り込むという事、免疫が出来る。なにもかも承知。抵抗力。少々の事では動じない。敏感ではない。
小豆相場は、いろいろ言われて買われたが、織り込んだ。産地農家は八千円以下では売らないかもしれないが、輸入時代に、古い値段にこだわっていたら、結局のところ余り物に値なしということになる。
台湾小豆の73年産成約。中国小豆の二、三月ラッシュ。
白けた場合が必ずくるだろう。
豊作年の出来秋に、二千円高するなんて、誰も予想していなかった。八千円割れは底値だとは一様に考えていたが、こんなに早く上昇するとは正直買っていた人でも思っていなかった。
もとより二千円高をするにはそれだけの要因やキッカケはあったわけだが、高くなってみて、それが言えるのである。
どんな強気の人でも早ければ年末、遅ければ来年三月から上昇だというふうに見ていた小豆だ。
それが足もとから飛び立つようにアレヨ、アレヨで買われてみれば、そうなんだ、一万円以下は安すぎる。品物とお金の値打ちがこうなんだ、どうだい
弱気しちゃぁ駄目だと言っただろう―となる。
誰も彼もが買う気になって、その気になった。
十年前なら(こんな豊作数字だと)四千円という相場であった。事実四千円相場が実現した。経済規模が十年前と今とでは全然違うから、あの当時一俵四千円が今その十割高の八千円。なるほどそれもそうであると、うなずく。
当時四千円の小豆が動いて五千円。なお買われて五千五百円。それなら今の小豆が一万円ないし一万一千円で理屈にあうわけだ。しかし当時四千円が六千円七千円とはならなかった。
人を説得させるには数字をあやつって、なるほどと思わせればよいけれど、完ぺきな理屈ほど大きな落とし穴があるものだ。まして相場など裏があって表があり、その裏の裏は…となると、理屈などはその場その場の飾りつけでしかない。
安くなればなったで結構、なるほどなあと思わせる材料が出てくる。安納会の小豆。前途を暗示しているように思った。
●編集部注
相場と対峙していて、価格に固定概念をもつ事ほど怖いものはない。
その昔、東京金が落ちに落ちていた頃、誰もが千円割れはない、ありえないと思っていた。押し目買いだと皆が買った。
その後、相場は千円を割れ、九百円をも割れる。
【昭和四七年十一月二七日小豆四月限大阪九六五〇円・八〇円安/東京九六〇〇円・一九〇円安】