寒烈堅氷至る 全限九千円割れ
長すぎた青春ではなく高すぎた水準が訂正される。年内余白、買い方ゴール寸前で息が切れた。
「山の子が歳暮に炭を負ひ来る みつを」
小豆が百九十二万八千俵だったとは意外である。名古屋弁だと〝びっくりこいた〟である。この言葉には、なんとなくユーモラスな響きがある。田山の山本博康社長と土井の小林、岡地の福富両常務と、米常の安田社長と和合のゴルフ場を回った時、安田稔氏が大きな声で『おうじょうコイタ』とか『びっくりコイタ』と叫ぶので山本博康先生苦(にが)笑いする。小林信男氏が〝おもしろいでしょう〟とニヤッと笑う。しまいに博康さんも『びっくりコイタ』―などと感染してしまう。
手亡が五十一万九千俵。やれ減収だ、発表数字は三十万俵台だ、などと強気していた人は〝おうじょうコイタ〟ところ。
百九十二万八千俵と五十一万九千俵をそれぞれ両方の風呂敷に包んで業界は越年する。中身については、これから、ああだこうだと盛んに議論する。
どうだろう。不需要期に向かうのに、輸入小豆が陸続と入荷する。
ホクレンが30万俵タナ上げするのも無理がない。
先限も千円棒が入った。九千円割れの相場は見えている。
再び八千五百円どころが安定価格になるだろう。各限とも一万円台に因果玉が残っている。
なんとなく、ひと相場出し尽くし、これから長い冬に向かうような感じがしないでもない小豆相場だ。
買い方仕手は玉がふくらんだところである。なあに資力が豊富なんだから戦線を延長していけばよいというかもしれぬが、長い戦いはそれだけ勝ち目が薄くなるのが仕手戦の常識だ。
いまとなっては、私設買い上げ機関みたいな存在の買い仕手である。お金は幾らあるとしても〝しんどい〟ことであろう。
手亡はストップ安である。
長すぎた春ではなく、高すぎた水準が訂正されようとしている。
手亡は七千四、五百円を中心に考える時代である。
これも九千円目標に八千四、五百円を買いついた取り組みが重い。
小豆も、手亡も、電線にひっかかった凧(たこ)が師走の風にさらされ無残である。
年内余白、買い方はゴール寸前で息が切れた。
●編集部注
相場には、3つの坂が存在する。上り坂と下り坂、そして〝まさか〟だ。真坂とも魔坂ともとれる。
この坂、辛抱の末に見立て通りの展開にやっとなったと感じた人には真坂に見え、びっくりコイタ人には魔坂に見える。
【昭和四七年十二月十八日小豆五月限大阪九二八〇円・三三〇円安/東京九三八〇円・二七〇円安】