昭和の風林史(昭和四七年十二月十六日掲載分)

強気は出来ん 万円相場は無理

小豆は、上値に現物の圧迫がある。敢然と豊作に立ち向かう仕手は勇壮であるが勝ち目は薄い。

「懐手解いてこれより為さんとす 非文」

判ったような判らん相場である。小豆も手亡も、大衆筋は手亡を

筒一杯買いついた格好。これは総体にどこの取引員でも言えるようだ。

小豆のほうは、うちはよく買ってくると言う店と、うちはよく売りますねと言う店と、さまざまである。

小豆の仕手筋は長期方針で来年の天候相場に勝負をかけているようにも見受けられる。

北海道の豊作と輸入小豆に敢然と立ち向かっている姿は勇壮でもあるが、はたして時世が味方するか?。

勝負は天の理、地の利、時の運という。

年を越すと、なによりも怖い不需要期入りである。消費地に品物が在庫され、輸入小豆が次々入荷してくれば、買い主力としても俵の重みを日一日と感ぜずにはいられまい。

それが納会、納会で現物を受けていくようになれば第二の増山であり、栗田である。

相場は金の力では勝てないものである。

問題は、大衆人気がどこまで買い仕手をバックアップするかであろうが、買い占めを潰すに刃物はいらぬ、ちょうちんに、ちょうちんを重ねれば、自滅するは明明白白。

かの増山相場が不作を背景に、なぜ潰れたか。その末期現象は他ならず尨大なちょうちんがついたからである。

見ていると小豆相場の一万円どころ(先限)はやはり抵抗がある。

この抵抗は現物裏付けによる重圧である。

小豆の高いところは売り方針でよい。しかし、仕手が画策しているあいだは突っ込みを買わねばなるまい。仮りにも仕手が後退するような気配を見せればすかさず買い建て八千枚から一万枚にのぼる玉が攻撃目標になろう。

手亡相場はどうか。

気分的には九千円目標を言うけれど八千円の八千五百円(先限)という逆張り型で、手亡相場の上伸を支援する材料である減収は、すでに織り込んでいる。

ただ、筋店の強力な安値での買いと、高値での利食いという、人為的な行為がそのまま相場に現れるため、一部の巧者筋にふりまわされる格好となり、いずれまた人気は冷めるように思えた。

●編集部注
不承不承の買い参入、といった所であろうか。

抗うのが一番良くない。 

腹立ち商いすべからず。これが出来るのはお金がある時だけだが、大概はこれでお金がなくなる。

そして敗北宣言した所で思惑通りの相場になる。

【昭和四七年十二月十五日小豆五月限大阪九七三〇円・一〇〇円安/東京九七五〇円・一〇〇円安】