昭和の風林史(昭和四八年一月九日掲載分)

常に急落含み 有利な戻り売り

相場は相場に聞け。買い仕手が、なにを策動しても重いものは重い。それが大勢というものだ。

「福笹にきりきり舞の小判かな 抱夢」

雑豆自由化反対の動きが活発になってきたことを好感し、また仕手筋の積極的な買いが週明けの小豆相場を押し上げた。

思うに、買い方仕手は三市場において一万枚前後の買い建て数量になるのではなかろうか。

意識的に強引に買わなければ、値段は垂れてくる。場勘定の関係もあろう。当初は長期の〝投資〟の方針で買っていても、玉がだんだんにふくらむにつれて意地も出てこようし、世間に対する見栄もからまる。

こうやって、自分で自分が逃げ場のない深味に、はまりこんでいく。

米国がベトナムに最高時五十万の兵力を投入し、それでも勝てなかった。ベトナムに米国が介入した当初は、五十万の米兵を動員するとは思わなかったはずだ。

小豆の買い方仕手はさらに泥沼に、のめり込んでいくであろう。

思えば大豊作の小豆に敢然と立ち向かう姿は勇壮でもある。百万人といえど我れ行かむ。相場師は、そうあるべきかもしれない。

だがこの結果は見えているようにも思える。

市場は仕手機関店、大石、土井の果敢なる買いに対して、きわめて冷静な受けとりかたをしている。

十二月の需要不振。中国小豆の入荷シーズン。一、二月の不需要期。一万円どころを飛びつき買いした因果玉。そして雑豆の自由化という趨勢―。

九千五百円以上は売ってやろうと、手ぐすねひいて待ち構えているのだ。

この戦いは長い闘いになるのかもしれない。作付けの減反、夏の天候等が相場の材料として手近なところに来るまで買い方は持久戦の構えに持ち込む。しかしそれまでには納会ごとの現受けも、敢て強いられる場面がこようし、台湾小豆の情勢も、時が過ぎるに伴って買い方に重くのしかかる。

古来、相場は相場に聞けという。重い足である。冴えたところのない気配だ。

いかにインフレ物価高の時世とはいえ、すでに小豆相場は〝上げ底〟している足取りだ。七千八百円あたりで這っていても不思議でない相場が九千円中心に動いている。

先限六月限の八千五、七百円は必ずあろう。

●編集部注
 こんな光景、筆者はどこかで知っている。
 そうだ、松辰だ。小説「赤いダイヤ」で買い仕手に何が出来ると嘯く松辰の佇まいにそっくりである。 
これが今後、どう変わるかに注目して戴きたい。

【昭和四八年一月八日小豆六月限大阪九九二〇円・六四〇円高/東京九九八〇円・六五〇円高】