2.13(日刊版2月09日付)
物価高に敏感 国会開催中用心
豊作の小豆が高いのは投機家のせいだ、ホクレンは放出しろと言いかねんから今下げておくのがよい。
「春草は足の短き犬に萌ゆ 草田男」
人間というものは、おかしなもので、その気になったら八千円でも高すぎると思っていた相場が一万三千円でも安すぎる―と思い込む。
おうおう、そういう時こそ気をつけなければならぬ。
今年の小豆相場。考えてみると大局的には一万七千円もあるだろうし、二万円近辺が無いとも言えない。それはインフレの進み具合にもよろうし、夏の天候にもよる。そして世界的な食糧不足という背景。当然仮需給の輪が大きく、大きくひろがる。
下げる時は中途半端なことをせず相場にまかせてしまう。
そうすると人々は勝手に売ったり、叩いたり、あるいは投げたりで、さまざまに判断して、それがまた自然の姿の相場にもどる。
国民は物価高に腹だたしい思いをしている。
本来なら大新聞は物価高に対して、もっときつい批判をするところであるが、大新聞社としても購読料金の値上げをしなければ苦しいところである。
国会開催中は田中内閣も物価高には非常な神経をつかうし、農林省のお役人も神経性の下痢が続くほどピリピリしている。
大豆高騰で頭にきている田中内閣は豊作の小豆が高いのは取引所での投機思惑のせいだ―と言いかねない。
農林省はホクレンに30万俵のタナ上げ小豆を放出して値を沈めろ―と言いかねない。
だから小豆が一俵一万五千円、一万七千円しても変ではないが〝時〟という問題を無視しては失敗する。
夏場になって、天候が不順だから高い―というのであれば誰もが納得するだろう。
と申して、この小豆いま深い目の下げを入れておくと、大相場への試練が出来て、末恐ろしいものになる。株が安かろうと田中内閣が存在するかぎり、インフレが止まらない。
現代は資本主義社会ではなく地本主義社会だそうである。
金融を締めすぎるとまた外貨がたまる。依然としてお金はダブついている。
安い小豆なら買っておけという仮需要は、農林省のお役人がなんと騒ごうと止めて止まらぬ四・三の手である。
安いところを買おう。
●編集部注
そう、安いところは買いだった。目先の高安の感覚は主観に過ぎない。
この時期の小豆相場は前年の秋から始まった絵に描いたようなエリオットの5波動パターン。ここは第3波動目である。
しかしこの時、3波と見た人は少ないと思う。
【昭和四八年二月八日小豆七月限大阪一万三二二〇円・六〇円高/東京一万三二〇〇円・五〇円安】