昭和の風林史(昭和四八年二月二十四日掲載分)

事態楽観出来ず 憂慮される業界前途

目先の利害ばかりしか見えない穀取の阿呆どもも、ようやく事態の容易でない事に気がついたか?

「咲くよりも落つる椿となりにけり 秋桜子」

商品投機を立法で規制しようという田中首相の積極的な考え方が大きな波紋をえがいている。

もとより〝行きすぎた〟投機行為は、それが時勢とはいえ、反社会的であり、国民世論の批判の的になるわけだが、どこまでが妥当で、どこからが行き過ぎなのか、この区分は難しい。

しかし、いまの小豆相場は、一部特定の巨大な仕手が、先限、先限と価格を操作し、当先のサヤはかつて見られなかったほど異常に開き、しかも現物のヘッジ機能が完全に破壊され(場勘戦争で売りヘッジ玉は締め上げられる)、これが現時点で適正な価格とは誰しも考えていない。

筆者は、思想なき亡国的ニヒルな買い仕手だと思う。この反動来たらば市場は、先に生糸相場で見られた栗田某の仕手崩れの如く、市場に与える影響、そして大きな犠牲が必ず生ずるのだ。

思えば腰抜けで、まったく無策無能な取引所当局者の事態の前途をちっともわきまえぬ馬鹿どもは、大変な問題が起こらなければ、まったく気がつかないため、いつまでたっても穀物相場が、他の商品の積みまでかぶらされ、穀取業界の信用は回復出来ない。

彼ら穀取の腰抜けどもは、まったく阿呆であり、大馬鹿者で、実に困ったことであるが、ようやくにして血のめぐりの悪いド頭(あたま)も、政府・与党首脳者の、当業界を見る厳しい態度に気がつき、あわてだしたのである。

いつでも言われる事だが、小豆が悪いのではない。市場の管理がお粗末すぎるのだ。取引所の運営がなっちゃいないのである。

彼ら腰抜けどもは、一生懸命やっているのだ―と言う。それで一生懸命なのか。だから馬鹿どもである。

筆者は久しく筆勢を抑えて成り行きを眺めていたが、事態がきわめて憂慮される今日(こんにち)、孤剣を抜かざるを得ず、抜けば関門商取の馬鹿どもにしろ、ホップ・ステップ・ジャンブ・ダウンの馬鹿どもの、また中国大豆上場というトンチンカンをやった一、二月ツイていない穀取にしろ私情管理も出来ない穀取にしろ、斬人斬馬血煙あげざるを得ない。当業界の事態は、きわめてよろしくない。

●編集部注
 怒っている。火がついた風林刀は、斬馬刀の如き切れ味に。ただこの当時の記事を振り返ると、業界の長老に窘められてシュンとなる場面も。それが読者を虜にする。

 相場に上下があるように、風林節にもアゲモードとサゲモードがある。

【昭和四八年二月二三日小豆七月限大阪一万三四五〇円・四七〇円安/東京一万三五五〇円・三七〇円安】