昭和の風林史(昭和四八年三月六日掲載分)

春雷のごとき S安なれども…

小豆は買い主力の自粛で一転春雷の如くS安。しかし基調不変という見方支配。

「若鮎や保津の筏に行きがひ 東洋城」

三月五日のこの日の月齢は朔日。小豆相場は春雷の如く朝寄りからS安。

きょう六日は昔でいう地久節。皇后誕生日である。そして24気の一ツに当たる啓蟄。地虫穴を出る。

田山の山本博康氏より灘酒造本年初の〝酒粕〟到来。

『酒カスとは語呂の悪い呼び方ですが、御家族皆様と甘酒なり、粕汁なり、そしてまた焼いて―』と丁重なる一文を添えて。

ミツワ商品の内田社長より激烈悲憤の電話『当社横浜支店の社員多数を高橋茂が引き抜きよった。ぶっ叩いてくれ』。すぐ神部茂氏に電話するもいまだ出社せず。高橋茂氏に事情聞く。高橋氏『内田君が激怒するのもよく判るが、手順前後の行き違いあり、電光石火対処するゆえ、ぶっ叩きはしばし待たれよ。先刻、東京穀森川氏よりもTELありたるところ』―と。

その間、今週号の東洋経済の座談会に風林さんは出ていますね―という電話しきり。

なんときょうは多忙なりや。九州ゼネラル貿易の社員多数神部軍団に走る動きあり。

太陽商品鎌田茂美社長辞任を知る。穐原勝美、小谷利勝氏ら再建に乗り出す。

業界は激動している。

商いは閑になり、残された市場も規制は強化の傾向。

さて、小豆相場は如何なる動きになるや。

小豆は買い大手の大石系店の思い切った手仕舞いが目につく。

主務省から→取引所。取引所から→仕手機関店。機関店から→顧客へと自粛要望される。

この日、在庫発表。そして十日は長期予報の発表。

S安した小豆、すぐに反発。巧者筋は五千円相場の初押しゆえに買い方針不変という。

ふり返ればこの小豆相場、一万円乗せから各大台(千円、二千円、三千円、四千円)と、それぞれ台乗せしたあと深押しを入れる。しかし基調なんら不変。

果たして今度も同じコースならんか。

大阪穀取市場管理委員長・脇田佐一氏、もの言いたき事、山ほどありと聞く。彼も腹立たしく激昂せんる問題多からんと察す。

●編集部注
 春雷に準えたこの当時の相場だが、それは後から見ると、嵐の前触れに過ぎなかった。

 三月は獅子のように始まり、羊のように去るといわれる。相場だけでなく世界も荒れた。米軍がベトナムから撤退したのもこの年の三月だった。

【昭和四八年三月五日小豆八月限大阪一万四五二〇円・七〇〇円安/東京一万四三八〇円・六九〇円安】