よろこばしい 相場が安い事は
小豆、手亡が下げることはよろこばしい。業界が死の淵から遠ざかり、再びよみがえるのだ。
「菜の花や淀も桂も忘れ水 言水」
全協連の山本博康会長は十五日、七十七歳の喜の字の祝を機に、さっぱりと全協連会長の職を辞した。辞任届は文書により清水、田中両全協連副会長にとどけられた。実に綺麗な身の処し方である。鮮やかであり、すがすがしい。
山本博康氏は、そのお人柄〝東風随処起芳華〟〝満堂和気生嘉祥〟―を常に感じさせる〝大人〟そのものだ。
今、全協連会長の職を辞するにあたり「私は、全協連の会長を辞めても、あくまでも商品取引員である。業界を愛する事は、なんら今までと変わらない。文書によって辞をとどけた事については、甚だ失礼であるという事も存じていますが、私の決意が堅いという事を察していただきたい。皆様方にこれまで、本当にお世話になった事を、心から感謝しています」。
筆者は博康先生に〝よかった、よかった、本当によかったですね〟と全協連会長辞任を心から喜んだのである。なぜなら人間・山本博康に長生きしてもらいたいからである。全協連会長という職は非常な激務である。新幹線による東京日帰りなど日常茶飯事としなければならない。見ていてそれは痛痛しいほど大変である。いま全協連からこの人を失う事は業界にとって大なるマイナスであるが、あとに若き清水正紀氏がある。業界は、いつまでも山本博康氏に甘えていてはいけないと思う。
博康先生は『さあ、これからは觴(しょう)を飛ばさん』と、おっしゃる觴はさかずき、酒宴をひらいて人生を楽しもう。『玉楼春暖笙歌の夜』あたたかい春の夜、美しい高楼から笙歌が聞こえる。春日まさに遅遅水遠く山長し。
博康先生お目出とう。
さて、きのうきょう相場のほうはガタガタである。中国小豆の商談。規制強化。ここは下げるほど業界の先行きに希望が生まれる。
安くなれば規制もほどかれるだろう。また、商いも出来る。市場がよみがえるのである。
しばらくは戻り売りの小豆であり手亡であろう。
いま下げる事によって天候相場が楽しめようし、強弱もまた論ずる事が出来る。業界を考えれば、下げるほどよろしい。
●編集部注
相場は人間の器を量る最適なスケールである。
器が小さいと、目先の変動にハラハラする。そこに大局的視点はない。
器が大きいと見る相場も大きい。マクロからミクロに分析を発展させていくという見方は、相場分析、特にサイクル分析における基本でもある。
【昭和四八年三月十五日小豆八月限大阪一万四一一〇円・七〇〇円安/東京一万四〇九〇円・七〇〇円安】