昭和の風林史(昭和四八年三月二十九日掲載分)

基調依然頑強 堂々買いの布陣

大崩れの仕様がない小豆相場で、もしも大幅安があれば金の延べ棒だ。押し目買い一貫である。

「春泥に石と思ひし雀とび 良太」

12ラウンドのうち3ラウンド終わって次は第4ラウンドだ。第4ラウンドは、ジャブの出し合いで案外退屈かもしれないね―と阿波座の乙部の織田氏は言う。例年鯉幟のあがる自分は閑だものね。本格的場面は五月か。

四月に入ると新幹線に乗っていても鯉幟が目に付く。デパートの屋上にも翻える。相場はたいがい閑になる。

桑名の板崎氏が朝日新聞(18日付)に大きくとりあげられて以来、テレビや週刊誌に騒がれ、最近のたいがいの週刊誌に好意的に扱われている。脇田米穀の脇田氏は「朝日ジャーナルもとりあげているそうだが、まさに今や〝時の人〟で、たいしたものです。私は、ああいう人が次々と出現する事は、商品取り引きそのものが、どういうものであるかを社会に宣伝できて、結構なことだ」という。

儲かったという話なら多田商事の西山九二三社長。往年の大相場師で、週刊朝日にそのこと大きくとりあげられた。

さすが西山氏は、今度の小豆、手亡の大相場で大勝利。渡辺はま子の〝モンテンルパの夜は更けて、つのる思いにやるせない―〟を歌うにも、なかなかどうしてその声に張りがある。西山社長はカウンターで、ブランデーの水割りの入ったグラスを目の高さまで持ってきて、グラスを透かして向こうを眺めながらポツンと言った。『おれも週刊誌に騒がれた時分が華だった』―と。『それだったら大出直りですね。大石さんは砂糖(の取引員看板)は手に入ったと思っていたでしょうに』。九二三親分は西条八十作詞、万城目正作曲の〝旅の夜風〟の終わりまで聞いて帰ろうと言う。(三)加茂のかわらに秋たけて肌に夜風がしみわたる、おとこ柳がなに泣くものか、風に揺れるは影ばかり。(四)愛の山河雲幾重、心ごころは隔てても、待てば来る来る愛染かつら、やがて芽をふく春がくる―。

さて第三ラウンドは終わった。

小豆相場は桑名筋の今後の出方を凝視している。

当分は四千円の五千円(八月限)という値固めか。四千円割れは買いたい。買いたい値段は付けてくれないのが相場。付ければ皮肉にもう少し安いか。しかし絶好の仕込み場となろう。

●編集部註
 そうなのだ。買えない相場は得てして強い。

 逆に、あっさりと買いたい値段に到達した時は注意しなければならない。

 この時恐らく買い方はWボトムの夢を見ている。

【昭和四八年三月二八日小豆八月限大阪一万四一二〇円・二七〇円安/東京一万四二八〇円・一二〇円安】