昭和の風林史(昭和四八年四月四日掲載分)

あれは三日前 下げ過ぎの相場

スケールの大きい相場である。下値にとどいたし下げ過ぎたから、猛然と反騰しよう。S高あり。

「花の雲鐘は上野か浅草か 芭蕉」

相場の人気は潮の引くように、そしてまた潮が満ちるようなものである。さしもの繊維相場も満つれば欠ける。小豆相場にしても同じである。人気は寄せては返す波のようなものである。

一万六千円も相場なら一万二千円も相場。現物が豊富にあることぐらい一万六千円時点でも充分承知していた。しかし、買い人気旺盛で需給事情は隅のほうに押しやられていた。

熱狂、熱狂、また熱狂で頂点に達した相場が反落した。行き過ぎの反省。

買い過ぎの反動。

いまさら鬼の首を取ったみたいに六十万俵余るとか、七十万俵余るなどと騒ぐ事はない。そういう事は当初から承知の上だ。

ただ、知っていても、湧いている時は、人気面で受け付けないだけである。

ひとたび満ち満ちたあと潮が引き始めれば、水面下に隠れていた岩礁が表面に出る。あたかも天から降ったか地から湧いたかの如く受け取れるような軟材料にしても、初めから判っていたし予測できるものだった。

市場は悲観、絶望の極にある。即ち潮の引いた極限に近い状態である。売り方は、遺恨なり十年一剣を磨く。この機を逸する事なく買い主力にとどめを刺さんと勢いに乗る。

だが、相場は下げ過ぎだ。いかに下げ過ぎであったかが、これから目(ま)のあたりに証明されよう。

三千円割れの先三本は買いである。まさしく延べ棒だ。

少なくとも四月二日のS安は余分な下げ、いうなら行き過ぎである。だが、相場には行き過ぎがつきもの。このS安で整理が急進した。人気面もいまでいう急速冷凍冷蔵庫、完全に冷えてしまった。

テレビで人気歌手が歌っている〝あれは三年まえ―〟などと。相場は三日見ぬ間の桜かなである。三年前の事など覚えていない。男子三日見ざれば忽然たり。相場三日見ざればS安なり。とは申すものの、とどいた相場三日見ざればS高なり。世の中のテンポは目まぐるしい。

高値から(八限)三千五百円安。あっさりと、やったものだ。四月限で六千六百円高の三千七百六十円安。スケールが大きい。

●編集部注

 今週の東京白金の様な流れを、当時の風林火山は思い描いていたと思う。

【昭和四八年四月三日小豆九月限大阪一万三一八〇円・三九〇円高/東京一万三一九〇円・四〇〇円高】