昭和の風林史(昭和四八年四月五日掲載分)

ああ〝うなぎ屋〟 S安に燦と散る

硝煙たちこめS銃の撃ちあいが済めば抜刀隊の肉薄攻撃となる。小豆は買いの旗ちぎれるも厳然。

「ゆっくりと時計のうてる柳かな 万太郎」

在庫発表数字の早耳と称して四月四日、再び小豆も手亡も売られた。

手亡は前場二節からS安まじり。小豆は三節東京先二本をS安に叩きつけた。

苛烈な場面である怨念(おんねん)を晴らさんとする鬼気を感じる。

相場は、瞬時ズタズタになった。

証券会社も安い。繊維相場も安い。公定歩合の引き上げが心理的に暗い影を落としている。

穀物市場も買いすぎの反動場面である。

インフレのムードに酔っている時は、怖いもの知らずだった。酔いが醒めてみると、よくもまあ、あんなところまで買ったものだと身ぶるいする。

しかし、小豆相場は迷ってはいけない。信念の強気方針。一貫すべし。

この日、東京土井商事は手亡の大量買い建て玉を、ちぎっては投げ、投げてはちぎり負け戦の軍の退き方とは見栄も外聞もない惨(みじ)めなものであることを人々に知らしめた。

この土井の手亡の投げは名古屋の〝うなぎ屋〟丹羽某氏の玉だという噂。およそ八億円の資力。残念ながらこの八億円は税務署の洗礼を受けていない〝処女資金〟なだけにモロイ。

この間、桑名の相場師は小豆一本に商店を絞り充分に引き寄せておいて猛攻撃に出るべくローラー・ロッキング・メカニズム(閉鎖機構)採用のモーゼルMG42突撃機関銃の手入れに余念がない。

彼は、旗を巻いていない。依然として彼のズボンのポケットには燦然と輝く好運の〝かたまり〟が無造作に突っ込まれている。

小豆と手亡とは、まったく違う相場であることを人々は知るべきであろう。

売り方は、叩かば叩け、地獄の底までぶっ叩け。相場は叩くほど鍛錬される。まして世界的に不順な気象下である。世界的に食糧不足の時代である。

売り方が一万六千円台に煽(あお)り上げられた時の唇(くちびる)を噛む腹だたしさ。いま買い方は、それと同じ思いであろう。相場とは、そういうものである。斬られれば、誰だって赤い血が流れる。硝煙もうもう、S銃の撃ちあい。

そして遂には抜刀隊の肉薄攻撃である。

●編集部註
 この時の相場状況は、長篠の戦いの序盤に近い。

 肉を切らせて骨を絶つ。死体の山を築きつつ、一部の買い方は売り方殲滅を狙って我慢している。

 まだぁ弾は残っとるがよ。

【昭和四八年四月四日小豆九月限大阪一万二四八〇円・七〇〇円安/東京一万二四九〇円・七〇〇円安】