昭和の風林史(昭和四八年四月十八日掲載分)

目下底固め中 閑散に売りなし

ひと味違う小豆の相場である。あの子も捨て、この子も捨てて相場は反騰に転じる気配が見える。

「大根の花紫野大徳寺 虚子」

まったく閑な市場であった。国鉄順法闘争の影響もある。窓外は激しい雨。大阪は十六日から桜の宮の造幣局の〝通り抜け〟が一般に公開された。遅咲きの八重桜など七十九種、およそ四百四十本。造幣局の通り抜けは浪速の春のフィナーレである。

あいにくの、きつい雨。花が惜しまれる。大阪城を向こうに眺め、茶店が軒をつらね、緋の毛(もう)せんなど敷きつめて、夜桜見物のお客さんは杯を傾ける。昔はよく喧嘩騒ぎなどあって、怪我人も出た。いまは警官がものものしい。

相場のほうは閑散そのもの。僅かの玉で高下する。閑散に売りなしという言葉もあるが、どうなんだろう。
ケイ線は四月七日の〝捨て子〟を拾いに行って四月十四日、また〝捨て子〟。あの子も捨て、この子も捨てて、捨て子ばやりのご時世だからと、ケイ線も世相が現われるものである。

それにしても、なんとなく相場の場味は、一味違うのである。売り方の利食い。買い主力の新規買い。手亡がコツンと底入れしたような風情。嫌な材料も、ほぼ知り尽くしたあとである。

そして証拠金も引き下げて正常に戻りつつある。なんのことはない。全穀連で農林省のお役人の御意向を尊重して証拠金の引き下げは、見送ることになったが大阪穀取の毅(き)然とした態度、あるいは叛旗をひるがえした行動とでも言うべきか、ともかく商売が大切だという考え方から大穀独自の行動に出た結果、それならと東穀も名穀も規制を緩和して全穀連の存在が笑いものになってしまった。

その善し悪しは別として、いちいち規制や、その緩和に主務省が関与すること自体、大変な間違いである。全穀連は全商連の親類みたいな官僚の天下り場所の一ツ。彼らは常に古巣の小役人の顔色ばかりうかがう習性がある。役所には都合がよくても業界にはとんだ迷惑ということも、ままあるようだ。そのような全穀連など無視する気風は、業界にとって甚だよろこばしい。

さて、閑な時は閑なような原稿。一部地区には新聞もとどかない。国鉄が輸送を受け付けない。国鉄は誰のための国鉄か。

●編集部注
 春闘における国鉄労組の仁義なき戦いである。

 サボタージュでダイヤを乱し続け、労働条件向上を上層部に要求した。

 四月二十四日、これにキレた乗客が暴徒化した。

【昭和四八年四月十七日小豆九月限大阪一万一五〇〇円・一九〇円高/東京一万一四四〇円・一五〇円高】