出直り足軽く おやおやの人気
堅調な納会。一般の人気予想とは、かけ離れたものだった。五月の相場が楽しみになってきた。
「行春やうしろ向けても京人形 水巴」
駅の硝子を割ったり、駅長室を破壊したところで、どうなるわけでもないが、なにかにつけて蓄積されているうっ憤が、ちょっとしたきっかけで燃えだし、群集心理で、その場は手がつけられない。一犬形に吠ゆれば百犬声に吠ゆという。
人気作用によって変動する相場にしても同じようなものである。
大相場には、なにかの蓄積がある。ある場合は、安値で売り込んだ取り組みであり、時間を経過した日柄である。
蓄積したエネルギーが爆発する。はじめは、ちょろちょろ、中パッパ。しまいには、手がつけられない。
われわれは株式、土地、絵画、あらゆる商品でそれを見てきた。
仮需要が仮需要を刺激し相乗して熱狂する。
電車の運転席を破壊し、乗車券の自動販売機を潰すことによって、これが復旧のために、次の日は、まる半日、国電の機能が止まる。半面、大衆のこのような暴挙ではあるが、意思の表示で、時の内閣も、真剣にストの対策を講じる事になり、組合も、乗客利用者の存在を強く意識することになる。
社会心理学者は、さっそくテレビに引っ張り出されて、一連のこの動きと、その影響力を説く。
群集心理について最も実践的に理解があった人物はナチスドイツのヒットラーだという。彼は、たくみに群集をリードした。ヒットラーが相場師になっていたら、どういう結末になっただろうか。
小豆の一万六千円高値を飛びつき買いした人も、逆に一万八百円安値を叩き売った人も、あるいは国電の駅長室に意思を投げた人もその時の心理状態は、だいたい似たものであろう。
そしてその跡は荒涼としている。散乱した硝子。追い証、追い証で攻められて遂には投げた玉の伝票。物質的な情景でなく人々の心の中も荒涼としたものが残る。
行きすぎて激した後には、必ずついてまわる後遺症である。それは、深酒をした次の日の朝のようなものかもしれない。
小豆の納会は引き締まったものであった。五月の相場が楽しみになる。なにかこの相場には大きな秘密がありそうに思える。
●編集部注
国電暴動と相場を熱狂と群集心理の観点で語る所が非常に知的である。
この年〝仁義なき戦い〟は世界でも。半年後に第四次中東戦争が勃発する。
第一次石油危機直前、空気がピリピリしている。
【昭和四八年四月二五日小豆九月限大阪一万二五二〇円・一九〇円高/東京一万二三四〇円・一七〇円高】