もの憂い場面 人気は離散傾向
千円高をする相場ならお化けだし、千円安なら買いたい人が多い。なんとなく厭いてきた感じ。
「ざぶざぶと素麺さます小桶かな 鬼城」
道農務部の作付け面積の発表が、また先にのびた。発表の数字いかんによって相場に影響するところ大であるだけに、いろいろと事情があるのかもしれない。
そうなると、相場の手がかりがなくなる。見ていると、何となく、もの憂い感じだ。飽きる。厭いた―そんな風情(ふぜい)だ。
また全般に投機家の目は砂糖相場に移っている。ゴムと砂糖が人気商品だ。
小豆は少々荒れすぎた。あきれてしまった人も多い。〝危険があぶない〟という。危険であぶない―ではない。危険が―である。そのような日本語はない。しかし実感としてはピタリだ。
味つけするかのように閑な市場で大石の手が目立つ。達者なものである。
それと手亡の相場が毎日水準を上げていく。手亡は弱気するところがないと誰もがいうけれど人気がない。
人気というものは、なにによらず少し間の抜けたところがなければつかないもので一分のスキもないものに人気は寄らない。
山文産業の週刊商品相場の研究は「小豆二万五千九百円も。手亡一万八千五百円も」―と書いてある。―も、という事は、―もある(かも、しれない)というニュアンスである。
高値を掴んで、なにかで希望を持とうと思う人は山文情報を申し込まれるとよい。非常によく当たっているという評判だ。
相場新聞は、全般に市場人気を反映して小豆は逆張りということになっている。ほかに書きようのない場面である。しかし手亡は、すべて強気だ。
こういう時には、ものを言わぬほうがよいのかもしれない。
高いところ、強く見える節は売ってくる。皆さんよくご存知である。安い場面は買う。なるほど、クロウトばかりだと、思うことは一緒である。
ホクレンは産地の現物を移動して、東穀市場の七月新ポ(二日)からの〝長期早渡し〟に準備しているそうだ。
限月間、各市場間のサヤが微妙になる。
それにしても、なんとなくもの憂い。これでこの小豆が千円高でもすればお化けであろうし、千円安は買いたいところか。
●編集部註
幽霊と相場は寂しい場所が大好きといわれる。
【昭和四八年六月二六日小豆十一月限大阪一万六六四〇円・七〇〇円高/東京一万六七八〇円・七〇〇円高】