昭和の風林史(昭和四八年七月七日掲載分)

相場鋭気なし 買い時代終了す

七月二日大天井打ちと見られぬこともない。目先の強烈高場面は決定的売り場になろう。

「子は飽きて父はたのしや水中花 みづほ」

六十五万俵の小豆在庫が相場に、のしかかってきそうだ。

それと東穀の長期限月早渡し制度が、ゆっくりと重圧を加えてくる。

七月二日の高値はようやく大天井の観を深くしつつある。

まだそれでも二万円、あるいは二万一千円という高値が残っているのかもしれないが、規制がこれだけ厳しくなっては、よほどの支援材料、例えば作柄に大きなキズがつくとか、何かがなければ現在の値段の維持も難しいのではなかろうか。

作付け面積は道農務部調べの時点以後に大幅な増加があって、七万三千ヘクタールは充分予想できる。

しかも作況は平年並み。やや旱ばつ気味だが、小豆は旱ばつに不作なしと昔から言われる作物だ。

相場の持つエネルギーにしても、およそ燃え尽きてしまえば、買いすぎたその反動が大きなものとなる。踏むべき玉はほとんど踏んでしまった取り組みである。

かなりきつい下げ相場になって、水準訂正が行なわれるように思う。

買い方は今までに巨大な利益を得てきているから、相場が安ければ再び買い出動してくるかもしれないが結局この玉を、どこで手仕舞うか。

大幅増反、平年作、六十五万俵在庫、消費不振―という重圧が日ごとに加わってしかも規制強化、踏み玉なし、早渡し増を目のあたりに見れば、高値買いつきの取り組みは、買い方自らの手でほぐすしかない。

今後は、買い方が崩す一本道の相場になりそうに思える。

買っている間だけ高い。手をゆるめると地すべりする。時に強烈な逆襲高に持っていくだろうが、ひとたび大天井打ちして基調が崩れだすと今度こそ本物の、なにがどうあろうと下げる安い―という場面になる。

それが、どこから始まるか。誰もが、もう悪いと感じた時は連続のS安であろう。その時はインフレムードも、どこかにふっ飛んで、よくもまあ実態無視であんな高値を買ったものだと、あきれることであろう。反省相場というべきか。

思えば強引な相場だった。誰もがへきえきした。そして厭いている。強烈高は売りに分ありと見る。

●編集部注 
 バブルとは、はじけた後で気付くものである。

 警鐘を鳴らす者の言動は、泡に浮かぶ当事者にとってみれば、ただのやっかみにしか聞こえない。

 これは古今東西、枚挙にいとまがない。この時は小豆相場であったが、今なら中国経済あたりか。

【昭和四八年七月六日小豆十二月限大阪一万八一一〇円・八〇円安/東京一万八二六〇円・一九〇円高】