どこまで戻す ぶった斬るのみ
黙って、どこまで戻しきるかを見ておくところで、息切れしたら、すかさず横っ飛びに胴払いする。
「叩かれて昼の蚊を吐く木魚かな 漱石」
緑樹陰(かげ)濃(こま)やかにして夏日長し、水晶の簾動いて微風起る。なんとも涼しさを感じさせる句である。前記漱石の昼の蚊を吐く木魚かな―も、俗界から離れ深閑とした山の中の寺の涼しさを思わせる。強い声で油を揚げるように鳴く油蝉も今が盛り。みんみん蝉はまたの名を深山蝉。シャワシャワとやかましいのが熊蝉。蝉を聞き樹陰に書を読むのも赫赫炎炎の猛暑から遠ざかる方法である。
洛北は寂光院、建礼門院、勝林院、三千院あり。洛西に祇王寺、二尊院、大覚寺、天竜寺あり。炎暑の中に涼を求む。
土曜日の小豆相場は案の定、陽線を立てた。
小豆の一万五千五百円この相場の中心点。お臍である。お臍のところにコンパスの足を当て半径二千五百円の円を書く。
上弦が一万八千円。下弦が一万三千円。これが、どんなに行き過ぎても五千円幅の一割の五百円は一万八千五百円の一万二千五百円。
駈けてみても飛んでみても泣こうが笑おうが、この円内での相場である。
コンパスの足をつめて五千五百円中心に上千円、下千円。小さな円は一万六千五百円の一万四千五百円。
湧くような人気が遠くに去っていった感じの相場。夏休みの終わったあとの海水浴場みたいなもので秋風が、とぎれとぎれに、きりぎりすの鳴く声を乗せてくる。
夏の終わりは一年中で一番女性がきたなく見える。それは熱狂した相場が終わったあとを思わせる。人々は見向きもしない。彼女たちは秋にそなえて疲労を癒し、魅力ある肌をつくるため懸命になるのだ。
無味な場味(あじ)の中で手亡をS高に放り上げていた。『いてこませ』の典型たるものである。やりゃ出来るんだ。なめると承知せんぞという表情がありありと見えた。
小学校の校庭や広場のある公園に櫓(やぐら)がくまれて関西は盆祭りのシーズンに入る。風の向きによっては夜遅くまでマイクロホンから河内音頭が流れてくる。聞きようによっては『いてこませーよっこらサ』と踊っているみたいだ。脇田の阿竹寿夫氏あたり、美声を張り上げていることだろう。
●編集部註
正調河内音頭の掛け声は、正しくは「えんやこらせぇ~どっこいせー」である。
今でも新聞読みの河内家菊水丸氏の存在が有名だが記事のそれとは違う。
映画「悪名」で勝新太郎がやる一節がそれだ。
【昭和四八年八月十一日小豆一月限大阪一万五八三〇円・三六〇円高/東京一万五九九〇円・四九〇円高】